『大日本史料』 1編 15 天延 2年 4月~貞元元年6月 p.10

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給へるに、こはいかに、御消息たてまつりつるは御覽せさりつるか、かゝるゆめをな, なり、いまに一條殿の御そうにあからさまにもいらぬところなり、, れいのやうにはあらて、北陣より藤壺・後凉殿のはさまよりとほりて、殿上にまいり, 與朝成大納言、依爲敵人、欲凌云々、, ふたつものものたまはていてたまひにけり、さて御いのりなとして、しはしはうちへ, むみ侍つるは、てをはたとうちて、いかにそとこまかにもとひまうさせたまはす、又, もまいりたまはさりけり、このものゝけの家は、三條よりはきた、西洞院よりはにし, 仰、即應御音、稱朝成、留御簾限、行成入御前、免此難云々、是則行成祖父一條大將, 令參之時、於殿上俄心神失度、乍恐參清凉殿、主上先識其氣色、揚音タソアレハト被, 又云、行成大納言爲藏人頭之時、依堅固物忌、籠居里亭之間、自禁中、稱大切事有召、, 第、爲望申大納言闕也、丞相良久不相逢、數刻之後、適以面〓、朝成立申任大納言條, 一條攝政與朝成卿共競望參議之時、天暦、多陳伊尹不中用之由、其後朝成參一條攝政, 〔江談抄〕, 〔古事談〕, 天延二年四月五日, 右大臣定方男, 謙徳公, 四、五, ○醍醐寺本, 臣節, ヲ競望スト, 朝成ノ舊第, 伊尹ト參議, 伊尹ニ大納, ニ入ルヲ避, 伊尹ノ子孫, 言ヲ所望シ, ノ説, 一〇

割注

  • 四、五
  • ○醍醐寺本
  • 臣節

頭注

  • ヲ競望スト
  • 朝成ノ舊第
  • 伊尹ト參議
  • 伊尹ニ大納
  • ニ入ルヲ避
  • 伊尹ノ子孫
  • 言ヲ所望シ
  • ノ説

ノンブル

  • 一〇

注記 (29)

  • 1699,558,57,2172給へるに、こはいかに、御消息たてまつりつるは御覽せさりつるか、かゝるゆめをな
  • 1206,568,54,1673なり、いまに一條殿の御そうにあからさまにもいらぬところなり、
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