『大日本史料』 1編 18 天元 3年 7月~4年10月 p.304

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リ、餘ノ僧ハ只本ノ如シ、, いり給て、明王に變して一時終まてすかたをあらためさりけり、廣澤僧正寛朝は、降, 覺ゆれ、大師中壇を勤させ給ひけるに、帝深更に臨て叡覽ありけれは、大師三摩地に, む、おほつかなし、殘り三壇は本身にてそありける、翌日、御門大師に申させ給ひけ, 昭か記に見えたり、されは楞巖院の布薩・清凉殿の梵筵にも、まさしく金光御口より, 三世の阿闍梨にて本尊になりぬ、寛朝になりぬ、とかく變けり、是はいかなる事やら, るは、去夜の時に、不動にて見え給しこそ貴侍しか、寛朝こそ本尊になりぬ、又本身, 出たりけり、凡二代聖主の國師・四公曲阜の檀越也、抑圓融院の五壇の御修法とこそ, に成ぬ、觀念みたるゝかとおほへ侍きと仰せられけり、大師は寛朝にて候へはこそさ, 叡山第十八座主慈慧大和尚は、觀自在菩薩の垂跡、日天子の化身なり、委細本傳并梵, ヒ給ハス、寛朝僧正ハ降三世ノ阿闍梨ニテオワシケルカ、或時ハ本尊トナリ、或時ハ, 僧正ニ成ケリ、御門是ヲ御覽シテ、不便ノ事哉、寛朝ハ妄念ノ起ルニコソト仰ラレケ, テオワシケルカ、御門竊ニ御覽シケルニ、行法ノ中ニ不動ニ成テ、本尊ニ少シモタカ, やうに候へ、君の是を御覽せらるゝこそ、目出度御事なれとそ申させ給ける、橘在橘, 〔日吉山王利生記〕, 天元四年八月十日, 三〇四

  • 天元四年八月十日

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  • 三〇四

注記 (17)

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