『大日本史料』 4編 3 建久元年1月~3年2月 p.660

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

法皇、鳥羽殿ニ御方違御幸アラセラル、, 候て可然事候なん、爲報祐範之恩、如此申上候條、何事もりりなく不可言, 頼朝には施忠して入滅候畢、而今任憲此由を歎申候、いかにも憐愍候て、, 候乎、但祐範年來知行之由、勝實前々も雖致沙汰、不蒙御裁許之處、今更改, 思知其恩候て、頼朝母堂逝去時者、七々佛事祐範沙汰し候て、澄憲法印爲, 候乎、然者依祐範多年領掌之由緒、任憲可相傳之由被仰下候者、取頼朝身, 申由申候へば言上候也勝實誠其理候はゞ、故女院御時、何賜件所不知行, 上由、執思候はる意趣、已相違候、以此旨可被申入給候、恐々謹言、, 國まて送付候て、其後不忘彼恩問候き、然者爲頼朝母堂は訪菩提らひ、爲, 如此わりなく言上候也、雖然無其理候はんをは、枉可被仰下之義、爭存念, 導師勤修し候き、又、平治亂之後、頼朝被配流候し時も、祐範付人候て配所, 件祐範と申候は、頼朝母堂舍弟にて候き、而乍爲舍弟、取別糸惜し候し故、, 可執奏之由歎思候之由施申候之間、且爲報祐範之舊好、且爲散任憲愁歎、, ○本條ノ事、結末詳カナラズ、, 八月十二日、戊子、天晴、欲參院之間、依御方違已幸鳥羽云々、, 建久二年八月七日, 玉葉〕, 六十, 亡母ノ佛, 事ヲ修ス, 祐範頼朝, 六六〇

割注

  • 六十

頭注

  • 亡母ノ佛
  • 事ヲ修ス
  • 祐範頼朝

ノンブル

  • 六六〇

注記 (22)

  • 326,560,78,1226法皇、鳥羽殿ニ御方違御幸アラセラル、
  • 682,717,61,2150候て可然事候なん、爲報祐範之恩、如此申上候條、何事もりりなく不可言
  • 1382,721,62,2155頼朝には施忠して入滅候畢、而今任憲此由を歎申候、いかにも憐愍候て、
  • 1031,720,65,2144候乎、但祐範年來知行之由、勝實前々も雖致沙汰、不蒙御裁許之處、今更改
  • 1731,724,61,2139思知其恩候て、頼朝母堂逝去時者、七々佛事祐範沙汰し候て、澄憲法印爲
  • 797,718,64,2152候乎、然者依祐範多年領掌之由緒、任憲可相傳之由被仰下候者、取頼朝身
  • 915,718,62,2148申由申候へば言上候也勝實誠其理候はゞ、故女院御時、何賜件所不知行
  • 567,720,60,1866上由、執思候はる意趣、已相違候、以此旨可被申入給候、恐々謹言、
  • 1498,724,62,2139國まて送付候て、其後不忘彼恩問候き、然者爲頼朝母堂は訪菩提らひ、爲
  • 1148,727,61,2137如此わりなく言上候也、雖然無其理候はんをは、枉可被仰下之義、爭存念
  • 1615,720,62,2141導師勤修し候き、又、平治亂之後、頼朝被配流候し時も、祐範付人候て配所
  • 1847,721,62,2150件祐範と申候は、頼朝母堂舍弟にて候き、而乍爲舍弟、取別糸惜し候し故、
  • 1263,721,65,2152可執奏之由歎思候之由施申候之間、且爲報祐範之舊好、且爲散任憲愁歎、
  • 454,791,57,860○本條ノ事、結末詳カナラズ、
  • 213,1077,61,1727八月十二日、戊子、天晴、欲參院之間、依御方違已幸鳥羽云々、
  • 1967,722,44,339建久二年八月七日
  • 196,615,102,182玉葉〕
  • 241,868,49,108六十
  • 1754,288,40,171亡母ノ佛
  • 1710,288,40,167事ヲ修ス
  • 1797,288,42,173祐範頼朝
  • 1964,2447,43,122六六〇

類似アイテム