『大日本史料』 5編 3 嘉禄元年是歳~安貞元年6月 p.653

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年五月十四日ノ條ニ、嵯峨清凉寺供養ノ式ヲ造ルコト、貞應元年二月, て、文のこゝろをいひけれは、あらかはすなりにけり、, コト、同年同月二十五日ノ條ニ、後鳥羽上皇ノ御不興ニ依リテ籠居ス, 公繼卿御簾裳額, 暦元年八月十九日ノ條ニ、討幕及ビ公經誅戮ノ議ニ與ルコト、承久三, 女房、これを聞きて、女房にあひて、はやこよひ打とけ給にけるなると問け, ルコト、同年十一月十七日ノ條ニ、延暦寺堂衆勅免ノ議ニ與ルコト、建, に物いひわたり給けれ共、打とけさりけるに、或夜ほいとけて、つほねより, 二十三日ノ條ニ、貴布禰祝賀茂久繼ヲシテ、賀茂領丹波私市莊等ノ預, いつとて、我願既滿衆望亦足と誦せられけるを、局ならひすみけるふるき, 承元二年閏四月十五日ノ條ニ、多武峯鎌足ノ裏影像改造ノ議ニ與ル, 廟建立ノ議ニ與ルコト、建永元年五月二十日ノ條ニ、第宅燒失ノコト, れは、さなきよしあらかひけれは、さるにては此文を誦せらるへしやはと, ○皇帝紀抄、徳大寺家譜等異事ナキヲ以テ略ス、公繼ノ後白河天皇御, 〔大要抄〕, 野々宮左大臣わかくおはしましける時、内裏の女房, 〔古今著聞集〕好色野々宮左大臣わかくおはしましける時、内裏の女房, 安貞元年正月二十一日, 徳大寺左府實能之, 時、此文ハ出來云々, 車文, 事, 公繼ト内, ノ女房, 車文, 安貞元年正月二十一日, 六五三

割注

  • 徳大寺左府實能之
  • 時、此文ハ出來云々
  • 車文

頭注

  • 公繼ト内
  • ノ女房
  • 車文

  • 安貞元年正月二十一日

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  • 六五三

注記 (27)

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