『大日本史料』 5編 16 仁治3年12月~寛元元年11月 p.233

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

々、以岡崎御所被修御佛事云々、, 原に在るへきを、今詳に知かたし、此御陵のこと、百練抄、寛元元年四月廿八日、甲戌、佐渡, せるものをいまた見當らされは、法華堂とも、御石塔とも、圓墳とも、今慥に辨へかたし, ○順徳上皇、佐渡ニ於テ崩御アラセラルヽコト、仁治三年九月十二日ノ條ニ見ユ、, 岡崎殿、被始中陰御佛事、世人稱卅箇日穢、と見えたるのみにて、其他の古書ともに委く記, ノ大原法華堂ノ陵側ニ納メ奉ル, 參考〕, 院御骨、康光法師奉懸首渡御大原云々、五月十三日、佐渡院御骨、今日奉納大原御墓所、於, 〔百練抄〕, 四月廿八日、甲戌、佐渡院御骨、康光法師奉懸首渡御大原云々、, 〔山陵考〕四大原御陵順徳院天皇の御骨を藏奉給へりし御陵なり、山城國愛宕郡大, 源康光、順徳天皇ノ御遺骨ヲ奉持シテ、佐渡ヨリ還ル、尋デ、後鳥羽天皇, 五月十三日、佐渡院御骨、今日奉納大原御墓所、於岡崎殿被始中陰御佛事、世人稱三十个日, 〔紹運要略〕順徳院寛元元年四月廿七日御骨上洛、奉安置後鳥羽院大原法華堂側云, 略神皇雜用先規録・久志本年代記等異事ナキヲ以テ略ス、, 穢、, 後嵯峨院, 十五, 三十箇日, 事ヲ修ス, 裝墓ノ御, 岡崎殿ニ, 中陰御佛, 所在詳ナ, ラズ, 穢, 寛元元年四月二十八日, 二三三

割注

  • 後嵯峨院
  • 十五

頭注

  • 三十箇日
  • 事ヲ修ス
  • 裝墓ノ御
  • 岡崎殿ニ
  • 中陰御佛
  • 所在詳ナ
  • ラズ

  • 寛元元年四月二十八日

ノンブル

  • 二三三

注記 (28)

  • 1068,599,62,775々、以岡崎御所被修御佛事云々、
  • 600,584,63,2221原に在るへきを、今詳に知かたし、此御陵のこと、百練抄、寛元元年四月廿八日、甲戌、佐渡
  • 255,583,64,2185せるものをいまた見當らされは、法華堂とも、御石塔とも、圓墳とも、今慥に辨へかたし
  • 950,706,66,2012○順徳上皇、佐渡ニ於テ崩御アラセラルヽコト、仁治三年九月十二日ノ條ニ見ユ、
  • 369,578,65,2223岡崎殿、被始中陰御佛事、世人稱卅箇日穢、と見えたるのみにて、其他の古書ともに委く記
  • 1631,553,80,1027ノ大原法華堂ノ陵側ニ納メ奉ル
  • 830,776,82,183參考〕
  • 483,579,65,2225院御骨、康光法師奉懸首渡御大原云々、五月十三日、佐渡院御骨、今日奉納大原御墓所、於
  • 1520,552,83,264〔百練抄〕
  • 1520,1121,61,1517四月廿八日、甲戌、佐渡院御骨、康光法師奉懸首渡御大原云々、
  • 709,537,82,2271〔山陵考〕四大原御陵順徳院天皇の御骨を藏奉給へりし御陵なり、山城國愛宕郡大
  • 1733,539,88,2272源康光、順徳天皇ノ御遺骨ヲ奉持シテ、佐渡ヨリ還ル、尋デ、後鳥羽天皇
  • 1406,586,64,2224五月十三日、佐渡院御骨、今日奉納大原御墓所、於岡崎殿被始中陰御佛事、世人稱三十个日
  • 1175,545,82,2260〔紹運要略〕順徳院寛元元年四月廿七日御骨上洛、奉安置後鳥羽院大原法華堂側云
  • 1854,711,70,1442略神皇雜用先規録・久志本年代記等異事ナキヲ以テ略ス、
  • 1303,592,57,71穢、
  • 1512,888,46,170後嵯峨院
  • 1562,887,42,85十五
  • 1312,263,42,167三十箇日
  • 1376,262,42,165事ヲ修ス
  • 627,253,43,171裝墓ノ御
  • 1466,263,41,164岡崎殿ニ
  • 1420,263,43,170中陰御佛
  • 582,252,42,165所在詳ナ
  • 541,256,37,77ラズ
  • 1267,262,45,38
  • 156,635,49,431寛元元年四月二十八日
  • 153,2290,45,117二三三

類似アイテム