『大日本史料』 5編 31 建長元年7月~同年12月 p.82

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テ、葉衣、白衣、釋迦、藥師等ノ法ヲ傳受シ給フコト、嘉祿元年六月三十日ノ第二, 當二補セラルヽコト、同三年十月十三日ノ第一條二、仁和寺入道道助親王二御入室, 仁和寺觀音院灌頂二御參會シ給フコト、同年七月十日ノ條二、仁和寺大聖院二於, 詣アラセラルヽコト、同年閏十月十七日ノ條二、阿彌陀法ヲ傳受シ給フコト、貞應, 二月三日ノ第一條二、大聖院二於テ、入壇ノ無爲ヲ祈リ給フコト、同年六月二十一, アラセラルヽコト、同月二十一日ノ第二條二、入道道助親王ト共二、高野山二御參, 條二、法印定範ヨリ東大寺東南院門跡ヲ讓進セラルヽモ、南都ノ僧徒ノ訴訟ニ依リ、, 二年五月是月ノ第二條二、尊勝法ヲ傳受シ給フコト、同年八月是月ノ第二條二、高, 野山二御參詣アラセラルヽコト、同年是歳ノ第二條二、高野山ニ於テ、彌勒法、金, 身阿闍梨二補セラルヽコト、同年十月二十四日ノ條二、法親王ト爲サレ、廣隆寺別, 年七月二十六日ノ條二、十八道加行等ヲ始メラルヽコト、同年八月七日ノ條二、一, 日ノ第二條二、高野山二御參詣アラセラルヽコト、同年七月一日ノ第三條二、高野, 辭退シ給フコト、同年是歳ノ第二條ニ、高野山ヨリ還御アラセラルヽコト、同二年, 剛藥叉法、五字文殊法、降三世法等ヲ行ヒ給フコト、元仁元年正月三十日ノ條二、, 建長元年七月二十八日, 八二

  • 建長元年七月二十八日

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  • 八二

注記 (16)

  • 700,762,60,2167テ、葉衣、白衣、釋迦、藥師等ノ法ヲ傳受シ給フコト、嘉祿元年六月三十日ノ第二
  • 1551,751,63,2182當二補セラルヽコト、同三年十月十三日ノ第一條二、仁和寺入道道助親王二御入室
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