『大日本史料』 6編 10 貞和2年8月~貞和3年11月 p.690

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忠氏將兵攻濱崎城、遂復取之、義清兄弟有戰功、, 牛落、郡元村に屬して、鹿兒島より谷山へ, 紫原、郡元村の野岡にて、牛落の西に續けり、, ○是ヨリ先、島津貞久、四國中國ノ兵船日向大隅ヲ駛過シ、南軍ニ加ハ, 九日ノ條ニ見ユ、竝ニ參看スベシ、, 〔參考〕, 村覺純南軍ニ内應シ、兵ヲ啓キテ濱崎城ニ入レ、北軍ノ通路ヲ塞ギシ, 八日, とあるは此所なり、今俗牛懸灘といふ、谷山祐玄陣營の跡なり、, コト、同二十九日ノ條ニ見エタリ、コノ後、南北兩軍谷山ニ戰フコト十, ラントセルヲ聞キ、重久篤兼ノ兵ヲ召スコト、去月二十七日ノ條ニ、中, 光嚴上皇、宣陽門院ノ御忌ニ依リテ六條殿ニ幸シ、即夜還御シ給フ、, といふ、山田聖榮自記に、鹿兒島の内牛おろし、或は牛落し、或は牛かけの濱, 六月八日己卯、天晴、今日上皇御幸六條殿云々、, 地理纂考〕, 往來する街道なり、西は懸崖にて東き海なり、皆人攝津國一之谷に似たり, 六月八日天晴、及晩上皇還御, 〔師守記〕, 園太暦, )上下略ス、直義夫人出産, 二薩摩鹿兒島郡, 事ニカヽル、次條ニ收ム, 鹿兒島下伊敷村, 己, 卯, 鹿三, 牛懸灘, 南朝正平二年北朝貞和三年六月八日, 六九〇

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  • )上下略ス、直義夫人出産
  • 二薩摩鹿兒島郡
  • 事ニカヽル、次條ニ收ム
  • 鹿兒島下伊敷村
  • 鹿三

頭注

  • 牛懸灘

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  • 六九〇

注記 (29)

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