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延寶五年巳四月廿一日窪田權九郎, 承及候分左ニ, 御事、觀音寺より書出申候を指上申候, 一中館より二里半計北ニ中村と申所御座候、爰をは甲斐之中村と申候而、, 勢守殿は、三十七八年已前ニ備中松山へ國替、其跡松平讚岐守樣御居城, 一下館之城は、中館以後ニ田村氏之人取立住居之由申候、此田村氏は、水谷, ニ罷成、讚岐守樣四國へ御國替之後、數年江戸より御番衆被遣、其後増山, 左京殿先祖ニ御座候而、伊勢守殿迄十六代之所領ニ御座候由、右水谷伊, 兵部少輔殿御拜領、于今住居被成候、右之通委繪圖ニ仕指上、其上行朝樣, 下野國之内ニ御座候、遍照寺と申眞言宗并釋迦堂御座候、又八幡宮并頼, 朝卿之石塔と申も御座候、當所ニて御先祖樣御事奉尋候へ共、申傳候義, 無御座候、以上, 〔伊達家祖先墓所覺書〕御先君樣方御舊墳他國ニ被爲在候御場所等拙者, 落合勘左衞門, ヽ春, 遍照〓, 南朝正平三年北朝貞和四年五月九日, 五六一
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- 遍照〓
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- 南朝正平三年北朝貞和四年五月九日
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- 五六一
注記 (18)
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- 251,741,53,402承及候分左ニ
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