『大日本史料』 6編 24 貞治元年正月~貞治2年2月 p.979

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ハ、御敵ヲハ早, ろなり、ととひしひつのゆつりをかくへちにとらせとるものありとゆふ, 伊豫河野通盛、所領ヲ子通朝ニ讓ル、, とも、みちともあひともにはんきやうおくわへすんはもちいへからす、み, 追落シテ候トテ、氣色バウテソ歸洛シケル, もをそうりやうとして、にりやうもき人ものこさすゆつりあたうるとこ, ニ討ント議シケル間、篠村ノ大勢是ヲ聞テ、却テ寄ラレヤセンスラント、二, 日路ヲ隔タル敵ニ恐レテ、一足モ先ヘハ進マス、木戸ヲ構へ、逆茂木ヲ引テ、, 後府中ニ出デヽ之ニ合スルコト、去年十一月二十九日ノ條ニ、足利直, 何クニテモ廣ミへ懸合テ、組討, なこと〳〵みちともかはからひとるへきなり、よてのちのとめにゆつり, せんゑかあとの所々のそりやうの事、かわのゝとをとうみのかみみちと, 〔諸家文書纂〕, 冬、備後ヲ沒落シ、山名時氏、幕府ニ降ルコト、本年九月十日ノ條ニ見ユ、, ○山名時氏、伯耆ヨリ美作ニ出デ、備前、備中ノ北黨ヲ撃チ、足利直冬、備, 用心嚴シクテハ居タリケレトモ、小林兵粮ニツマリテ、又伯耆へ引退ケレ, カハ, ○西源院本, 輙クニ作ル, 既ニ篠村ヲ立ト聞ヘシカハニ作ル、, ○前田家本、神水ヲ飮テ待懸タリ、寄手, ○下, 河野文書, 略, 七, 南軍引キ, 共ニ讓ル, 所領家人, 退ク, 南朝正平十八年北朝貞治二年二月十二日, 九七九

割注

  • ○西源院本
  • 輙クニ作ル
  • 既ニ篠村ヲ立ト聞ヘシカハニ作ル、
  • ○前田家本、神水ヲ飮テ待懸タリ、寄手
  • ○下
  • 河野文書

頭注

  • 南軍引キ
  • 共ニ讓ル
  • 所領家人
  • 退ク

  • 南朝正平十八年北朝貞治二年二月十二日

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  • 九七九

注記 (31)

  • 1463,652,58,396ハ、御敵ヲハ早
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