『大日本史料』 6編 32 応安3年3月~応安3年12月 p.178

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〔參考〕, 滿、上杉朝房・同憲春等ヲシテ、氏綱ヲ攻メ、降參セシムルコト、應安元年九月六, 年八月二十日ノ條二、兵庫權助ニ任ゼラルヽコト、貞治六年八月十八日ノ條ニ、氏, 楠正儀籠城以拒之、頼之以山名氏清合戰、以宇都宮氏綱以下發向紀州合戰、夏五月、紀, とあり、櫻雲記にも同しくみえたり、, 州の軍勢強くして、宇都宮敗北し、粉河寺に入、七月五日卒す、南齡庵禪綱と號す, 州南方軍強而宇津宮敗軍、入粉川寺、其後畠山發向紀州、宇都宮相共破南軍、宇都宮下, 日ノ條ニ見ユ、, 南朝紀傳に、應安三年五月、紀州の宮方退治として、宇都宮下野守氏綱發向す、紀, 向國後、稱立願、於宇都宮粉川寺觀音建立之、七月五日、宇都宮氏綱卒、〓, 〓南朝建徳元、北朝應安三年春、細川頼之督諸軍發向南方、攻河州、, 氏〓, 南朝建徳元年北朝應安三年七月五日, 〔南方紀傳〕, 號南齡庵、應安三年庚戌七月五日依病卒、四十五、于時紀州在陣、, 號南齡菴、, リ從四位、侍從、下野守、兼伊豫守、母千葉介平宗胤女、法名元山禪綱、, 坤庚, 宇都宮系圖, 戌, 法名祥綱、, 川寺觀音ヲ, 紀伊ヲ攻ム, 宇都宮二粉, 建ツ, 紀伊在陣中, 病死ストノ, 説, 南朝建徳元年北朝應安三年七月五日, 一七八

割注

  • 號南齡庵、應安三年庚戌七月五日依病卒、四十五、于時紀州在陣、
  • 號南齡菴、
  • リ從四位、侍從、下野守、兼伊豫守、母千葉介平宗胤女、法名元山禪綱、
  • 坤庚
  • 宇都宮系圖
  • 法名祥綱、

頭注

  • 川寺觀音ヲ
  • 紀伊ヲ攻ム
  • 宇都宮二粉
  • 建ツ
  • 紀伊在陣中
  • 病死ストノ

  • 南朝建徳元年北朝應安三年七月五日

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  • 一七八

注記 (30)

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  • 1668,821,71,2122滿、上杉朝房・同憲春等ヲシテ、氏綱ヲ攻メ、降參セシムルコト、應安元年九月六
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