『大日本史料』 7編 6 応永10年正月~同11年12月 p.751

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津攝國富田のしやう、れう所として知行あるへく候也、あなかしこ、, ラシム、, 光有とのへ, 細河右京大夫殿, 七月十八日, 攝津國富田庄事、任今月十三日御教書之旨、可被沙汰付光有丸代之由所仰, 下也、仍執達如件、, 應永十一年七月十六日沙彌(花押), 〓幕府、東寺ヲシテ雨ヲ祈ラシム、尋デ、又興福寺ヲシテ之ヲ祈, 十八日, 自明後日廿日、三ケ日可被行雨御祈、特凝丹誠、宜期玄應之由、可令下知東寺, 〔東寺百合文書, 曇寂, 給之旨被仰下候也、恐々謹言、, 七月十三日(花押, 金剛乘院僧正御房, (別!)「應永十一年」, 七月十三日, 七月十八日曇寂, (花押), 應永十一年七月十八日, (別筆)「應永十一年」(義〓), セ二十一之三十七, ○山城, 管領畠山, 細川滿元, 基國施行, 應永十一年七月十八日, 七五一

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  • セ二十一之三十七
  • ○山城

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  • 管領畠山
  • 細川滿元
  • 基國施行

  • 應永十一年七月十八日

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  • 七五一

注記 (29)

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