『大日本史料』 8編 2 応仁2年8月~文明元年9月 p.381

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貞國、爲メニ接納ヲ請フ、朝鮮乃チ之ヲ受ク、, 〓、はた濟州に入り、殺傷するを甚し、予常に是を許し、その飢饉を救ひ、其商, 賈を通し、凡其願ひに叶はすといふ事なし、然るにまた庇仁浦に入り、人を, 關西ノ將士、使ヲ朝鮮ニ遣ス者多シ、其舊好ナキ者ハ、朝鮮之ヲ納レズ、宗, 十餘艘を奪ひ、人を殺す、予位を繼てよりこのかた、丙戌年全羅道に於くし, 戊子年忠清道に於くし、或は運漕を掠め、或は兵船を燒き、萬戸を殺にに至, とす、其恩を忘れ、義に背き、天理をしらさるこゝにいたる、今農事乃時界當, 殺し掠むる〓三百餘、且黄海より平安にいたり、まさに中國乃境を犯さむ, て、師を出し、これを討つ、面む事を得さる乃意、宜しくこれを臣民に諭ずへ, 〔海東諸國記〕坤對馬島豐崎郡, 又遣使曰、繼父可遣使船之由也、然無州主之書、故彼國不受之、又宗盛秀弟茂, 持、爲從兄六郎次郎猶子、遣使於朝鮮云々、, 此比、彼國三浦の倭戸刷還の事を我州にもとめし事あり、, し、, 〔對州編年略〕由, 對州編年略〕中同年宗盛直子四郎職盛、遣使船於朝鮮、彼國接待之、翌年, 同年、宗盛直子四郎職盛、遣使船於朝鮮彼國接待之、翌年, 或稱都伊, 沙只郡, 同年、宗盛直子四郎職盛、遣使船於朝鮮、彼國接待之、翌年, 對馬ニ求, 宗職盛, 宗茂持, 三浦ノ倭, 戸刷還ヲ, ム, 應仁二年是歳, 三八

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  • 或稱都伊
  • 沙只郡
  • 同年、宗盛直子四郎職盛、遣使船於朝鮮、彼國接待之、翌年

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  • 對馬ニ求
  • 宗職盛
  • 宗茂持
  • 三浦ノ倭
  • 戸刷還ヲ

  • 應仁二年是歳

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  • 三八

注記 (28)

  • 740,565,79,1392貞國、爲メニ接納ヲ請フ、朝鮮乃チ之ヲ受ク、
  • 1671,661,81,2220〓、はた濟州に入り、殺傷するを甚し、予常に是を許し、その飢饉を救ひ、其商
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