『大日本史料』 8編 20 長享元年2月~同年11月 p.474

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向勸修寺、, 十九日ノ條ニ、漢土人物勝地和歌ヲ詠進スルコト、同年八月十四日ノ, 三月二十日ノ條ニ、縣召除目ニ執筆ヲ勤仕スルコト、同十二年三月二, 題三十首和歌會ニ讀師ヲ勤ムルコト、同七年正月五日ノ條ニ、内侍所, ろとの御ちこ、はしめて御しゆつし、きう上らぬつれまいらせられて御〓, 都ヲ去ルコト、同九年四月十八日ノ條ニ、花宴ニ祗候スルコト、同十年, 政家ト位階ヲ爭フコト、文明五年三月十八日ノ條ニ、飛鳥井雅康ノ勅, 臨時御神樂ニ參仕スルコト、同年二月二十三日ノ條ニ、窮困ニ依リ京, 條ニ、現任ノマヽ遷任セラレンコトヲ請フコト、同十三年正月二十日, に御さろ月二〓いりて、御ちこはかりてんしやくにたのの、めてたし、, ○信量、元日節會内辨ヲ勤仕スルコト、應仁元年正月一日ノ條ニ、近衞, いり、御宮けにひふつ三色、三からる、こふ、あり、こんは一こんにて、二こんめ, 促駕向大炊御門、去十三日始而出仕、十四日來臨也、爲謝也、舊, 廿二日, 〔實隆公記〕長享二年四月十三日、, 大炊息今日始出仕、, 同對面、及昏、歸路, 院上〓等來臨、盃酌時分也、仍傾數盃、彼母儀, 有遺腹子乳之、, 仍未落〓云々, 中略, ○中, 丙辰、〇, 略, 未, 丁弓、○中, 信量ノ子, 經名初出, 仕, 長享元年八月四日, 四七四

割注

  • 有遺腹子乳之、
  • 仍未落〓云々
  • 中略
  • ○中
  • 丙辰、〇
  • 丁弓、○中

頭注

  • 信量ノ子
  • 經名初出

  • 長享元年八月四日

ノンブル

  • 四七四

注記 (31)

  • 1098,640,56,272向勸修寺、
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