『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.755

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みへす、, を催し、桂川邊にて、大と戰ひ給ふと云々, 入道釣垂, を勵し、崩口こ取て返し、鎗を合、敵を討取志水新之丞、同惡兵衞を初、御人數, 八幡より山崎へ引越、向の明神の邊にけ陣取けると云云、いふかし、, 又一書、三好義繼は、敵方搦手の大將とて、松永、岩成等を引率し、若江を, 人數〓及合戰、味方手負討死餘多有之、義繼、勝政之勇將だ、嵯峨迄被及敗走, 候、此節幽齋樣之御人數だ、〓敗走可仕躰と相成候付、康之陣頭こ進、御人數, 井康之儀だ出馬仕候處、三好釣垂、岩成主税助等大軍を帥、桂川を渡、諸將之, 後守勝政、同清資、同周防守、同豐後守、同備後守、伊勢兵庫頭、荒木彌助等, 同下野守政康入道釣閑等大將と而、一萬餘人堺津を押出、同, 一書、城中無勢にして、あやふかりしに、藤孝君青龍寺より出て、池田筑, 戰難儀之處、幽齋樣、三好左京大夫義繼、和田伊賀守惟政、池田筑後守勝政、同, 五日、, 義昭公之御旅舘洛陽本國寺こ押寄申候、折節御所勞無勢ニ而、防, 荒木彌助村重等御一手ニ而、西岡ゟ被押出、松, 〔松井家譜〕一永祿十二年正月、三好山城守康長入道笑岩、同日向守長縁, 清貧齋・、伊丹兵庫頭親興, 親矩、, 四日, 一二, 北齋, 一二, 一二, 敗走, ノ出陣, 荒木村重, 義繼等ノ, 永祿十二年正月五日, 七五五

割注

  • 親矩、
  • 四日
  • 一二
  • 北齋

頭注

  • 敗走
  • ノ出陣
  • 荒木村重
  • 義繼等ノ

  • 永祿十二年正月五日

ノンブル

  • 七五五

注記 (30)

  • 1928,838,52,203みへす、
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