『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.583

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御送候, 景ノ旗本ヲ加勢スベシト云聞セラル、, 迄被仰付候、大略普請出來候て、豐後衆人數六万にて、こなたの御陣矢屆, 口之儀は先被爲置、諸陣普請夜白被仰付候、五日之内ヒ、惣陣堀、塀、櫓以下, 部、立花彌十郎兩人居申候、然は其年五月閏候、先之五月十八日、豐後衆惣, 年三月中旬、筑前ノ帆柱へ陣ヲ替、其ヨリ四月四日、段ト云所へ至、同五日、, に後卷仕候、こなた乃御人數は、堅四万之著到にて、立花之城には、〓田民, 立花彌十郎カ居城立花ヲ取圍ム、然處ニ、大友入道宗麟、後詰トシテ九州, 陳打移し、こなたの御陣へ切懸り候、兼日より御覺悟之儀ニ候へは、諸口, 堅固と被仰付、諸口に鑓候つれ共、たひこと御味方勝利にて、十八日之八, 押ノ勢ニ、持口彌堅固ニ相守ルベシ、何レニテモ弱カラン方ヘハ、元春、隆, 御取懸候、豐後衆後卷可仕催こて、肥後、肥前之間ニ待懸居候、然間、立花詰, ノ勢ヲ催シ、大軍ヲ帥ヒテ、立花表へ出張ス、元春、隆景、兼テ定置タル後詰, ツさかりに、敵悉引退候、諸口にて被討捕豐後衆の頸三百餘、長府へ被成, 〔吉川家舊記〕四一元春父子、隆景、諸勢共ニ九州ニ越年シ、明ル永祿十二, ○下, 略, 大友軍退, 却, 永祿十二年五月十八日, 五八三

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  • ○下

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  • 大友軍退

  • 永祿十二年五月十八日

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  • 五八三

注記 (21)

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