『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.332

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かへ、義を守り、ひとつとして不義不忠なからんものなり、, ケリ、康政始ハ伊豫ノ宇津宮力娘ヲ娶リテ、子二人迄有ケルヲ、去出シテ後、大友宗麟, 諫言致シケルヲ、康政手討ニセラレケリ、宗〓力嫡子土居肥後守、遺恨底ニ徹シテ覺ケ, レハ、國人并ニ長曽我部ナト談合シ、康政ヲ追出シ、豐後ノ國へ送リケリ、宇津宮腹ノ, モ辞退ニ不及、左有ハ始ノ子息此方へ賜レ、出家サセ申シ、其後娘ヲ參ラセント有ケレ, 康政ハ宗麟イタハリ扶助シ、臼杵ニ假リ屋敷ヲ搆テ入置タリ、如何成者カシタリケン、, ノ後、悦長老ノ弟子トナル、康政ノ狂乱無道イヤ増ニナリケレハ、家臣土居宗〓、強ク, ハ、康政子息一人豐後ヘゾ下サレケル、依テ宗麟モ息女ヲ土佐ヘゾ送ケル、彼子息成人, ノ息女ヲ乞レケリ、是ハ軍ノ時加勢ヲ乞ントノ謀略トゾ聞ヘシ、再三乞レケレバ、宗麟, 御諚にて、兵部丞か跡職相違なく嫡男被仰付、剩一稜相加へあておこなはるゝ、是一命, 〔九州記〕六土佐一條豐州下向事, を君恩の爲におしまさるによつてなり、かくのことくの御おこなひには、臣も又恩につ, 右君令一人有ケルヲ取立、一條家ヲ継セ申、元親力聟トス、大津ノ御所トソ云ケル、扨, 土佐ノ國ハ前々ヨリ京都一條殿ノ御領也、, 元龜三年ニ伊豫ノ國西園寺公廣ト合戰シ, 土佐ノ國ハ前々ヨリ京都一條殿ノ御領也、〓中元龜三年ニ伊豫ノ國西園寺公廣ト合戰シ, ○中, 略, 已, 其嫡子ニ與, 元龜三年七月十九日, 三三二

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  • ○中

頭注

  • 其嫡子ニ與

  • 元龜三年七月十九日

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  • 三三二

注記 (22)

  • 1545,622,63,1509かへ、義を守り、ひとつとして不義不忠なからんものなり、
  • 1192,618,72,2247ケリ、康政始ハ伊豫ノ宇津宮力娘ヲ娶リテ、子二人迄有ケルヲ、去出シテ後、大友宗麟
  • 616,619,75,2247諫言致シケルヲ、康政手討ニセラレケリ、宗〓力嫡子土居肥後守、遺恨底ニ徹シテ覺ケ
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