『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.108

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お、大權現より感状を下さる, 依田肥前守殿, 捕之由尤候、彌馳走候者、可爲木望候、恐々謹言、, 城をおとす、大權現其軍功を感したまひそ、先祖の本領一萬石の地を下さ, る、其上人質の領分としる、駿河國稻葉、大津の二村にし八百石拜領す、信州, 今度至伴野地相働蒙疵之由、寔無比類義候、殊宿城迄悉令放火、數多被討, 伴野におゐく、宿城を放火して軍士あまたうちとり、信守疵をかうふると, 七月十九日家康御在判, 令悦喜候、彌戰功可爲肝要候也、仍如件, 先度伴野城へ取懸之砌、走廻、殊と於蘆田谷中、不厭風雨、伏兵番等相勤之由, 〔譜牒餘録〕, けらる、〓, 大權現蘆田修理大夫康國に命して、騎馬四十七人、歩卒二百人信守にあつ, 七月十九日, 家康御在判, 天正十, ○譜牒餘録後編依田源六郎書上ニハ、, 此次ニ、尚々、疵醫者指越候、以上トアリ、, 働申候肥前守家來大熊新平頸二、臼田佐藏頸, ○諸家所藏文書依田肥前守覺書ニハ、其節相, 松平下總守, 二十七, 右衞門頸二、討捕申候トアリ、, 下略, 一、市村新五郎頸一、蘆田川四郎, ○上, 天正十年七月十九日, 一〇八

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  • ○譜牒餘録後編依田源六郎書上ニハ、
  • 此次ニ、尚々、疵醫者指越候、以上トアリ、
  • 働申候肥前守家來大熊新平頸二、臼田佐藏頸
  • ○諸家所藏文書依田肥前守覺書ニハ、其節相
  • 松平下總守
  • 二十七
  • 右衞門頸二、討捕申候トアリ、
  • 下略
  • 一、市村新五郎頸一、蘆田川四郎
  • ○上

  • 天正十年七月十九日

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  • 一〇八

注記 (28)

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