『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.644

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一多田淡路、青柳城責之時, 申候處に、青柳の小屋より人數を出し、横合にかけおさし申候ニ付、數多, 候、此時も人々の善惡あけてかそへかたき儀候間、末を略し申候事、, く、越後川中島の人數を操出し申候ニ付、御引退被成候、御馬は東の山き, 討死手負馬放れ足々に罷なり、御手廻りには、三十騎はらりにて御歸城, 御出馬にて、彼城きわ迄御馬をよせらま、御責かゝり被成候處こ、案の如, 一松島太左衞門、青柳城攻之時, 被成候、此時も二木六右衞門、旗の立樣功者之儀、敵味方取沙汰ニ而御座, 後を味方に引受罷有候間、御分別被成可然5、樣々被申候得とも、無御用, 一岩岡とろ兵衞、麻績之城責之時, わのせこ道を御退被成候、惣御人數は青柳の町より亂れ、西の本道を退, 豐後、同六右衞門、其外いつれも相談にて被申上候は、かの城は、川中島越, 一麻績之城御責取可被成のよし、貞慶樣被仰出候、其時出雲殿、山城殿、二木, 手柄の討死之衆大形記之、, 一有賀傳兵衞、青柳城責之時, 天正十年九月是月, 上杉氏ノ, 兵麻績ヲ, 援ク, 學, 麻續城攻, 天正十年九月是月, 六四四

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  • 上杉氏ノ
  • 兵麻績ヲ
  • 援ク
  • 麻續城攻

  • 天正十年九月是月

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  • 六四四

注記 (23)

  • 425,681,59,762一多田淡路、青柳城責之時
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