『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.802

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織田信雄、美濃大垣ノ池田勝入, 坂本著陣、, は、不及是非之沙汰、信雄卿へ御味方に參らては不叶事なりと、片桐に向て, は、御同心有之旨。御返事こまやろなり、池田、森かたへは、秀吉より入魂頼入, 十二日、己丑、筑州至江州出陣、今夜石邊ト云所ニ在陣云々、, 信雄卿三臣を生害し給ふは、羽柴筑前守につかへ侍る品有に因てなり、然, 之旨、尾藤甚右衞門を以被仰入しか共、池田も、信長公御厚恩を蒙し事なれ, 信雄ト清洲ニ會スルコト、同月十三日ノ條ニ見ユ、, とをたのみおほしめすのよし、使札を以、信雄卿より被仰入けきは、家康卿, 〔顯如上人貝塚御座所日記〕, モ亦之ヲ招ク、是日、勝入、秀吉ニ應ズ、長可モ亦秀吉ニ應ズ、, 間秀吉より其とかめ有へしとて、徳川三河守家康卿、池田勝入、森武藏守な, 如何思ふそと相談有、半右衞門奉り、かくこさあらまほしく存候也、是理之, ○信雄、秀吉ト絶ツコト、本月六日ノ條ニ、家康、兵ヲ率ヰテ尾張ニ出デ、, 〔太閤記〕九信雄卿與秀吉卿及鉾楯起之事, 同國兼山ノ森長可等ヲ招ク、羽柴秀吉, 十日、既今朝筑州御出馬由申來也、江州, 〔顯如上人貝塚御座所日記〕如山十日、既今朝筑州御出馬由申來也、江州, ○山, 興, 城, 恆, 秀吉尾藤, 甚右衞門, ヲ以テ勝, 入ヲ招ク, 天正十二年三月十日, 八〇二

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  • ○山

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  • 秀吉尾藤
  • 甚右衞門
  • ヲ以テ勝
  • 入ヲ招ク

  • 天正十二年三月十日

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  • 八〇二

注記 (28)

  • 1194,536,76,1000織田信雄、美濃大垣ノ池田勝入
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