『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.194

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也、, 及書載候、此條々もかこしまへ使進上之由、中書きこしめし候間、申上候て可然之旨, 一、十四日、拂曉打立佐土原へ參候、御談合也、衆、吉利山城守殿・比志嶋殿・鎌田筑前, 氣とて、松下越中守參せられ候也、御談合、先々中書公・拙者なと、縣・三城之樣子, 也、委仰の條々承置候、かこ嶋への使者、今朝早旦打立候間、無是非候由申候也、, つる、此説聞え候間、先々續候する哉、又就右之義御談合肝要さうに存候、如何之由, 一、十一日、飯野へ勝目但馬守にて申候、此度續ニ、養性時分にて候共、何となり共打立、, 一、十二日、, 中途まてなり共可參覺悟候之處、中書公、爰元之雜説事實候間、御談合可有候、拙者, 守殿、吉利總州者服氣にて候間御參無之候、伊尻伊賀守御參せ也、伊集院作州も養性, 事は然よ可罷居候之段被仰候條、不罷立候由申候也、又山中より之雜説等、具申上候, 見償候て可然候、それに應して御談合は、次第〳〵に可有之由定候、又諸所他方之計, 阿蘇家より被拂候由也、此儀佐土原へ長野淡路守にて申上候、次ニ十四日御談合と候, 請御意候也、, 此日從清武註進候、只今眞幸傳に聞え候、花之山之拵, 天正十三年八月十四日, カル、八月十日ノ條ニ收ム、, ○中略、肥後出陣ノコトニ力, 談合ス, ト佐士土原ニ, 家久覺兼等, 共ニ豐後境, ヲ檢分セン, 家久覺兼ト, トス, 天正十三年八月十四日, 一九四

割注

  • カル、八月十日ノ條ニ收ム、
  • ○中略、肥後出陣ノコトニ力

頭注

  • 談合ス
  • ト佐士土原ニ
  • 家久覺兼等
  • 共ニ豐後境
  • ヲ檢分セン
  • 家久覺兼ト
  • トス

  • 天正十三年八月十四日

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  • 一九四

注記 (27)

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  • 1826,753,58,2179及書載候、此條々もかこしまへ使進上之由、中書きこしめし候間、申上候て可然之旨
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