『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.295

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九日、, 七日、はるゝ、女御の御かたより、あんすらる、, 來秀康卿、遂ニ正則ト交ヲ斷玉フ、其故ヲ知ラス、, 六日、はるゝ、このへ殿より、やまもゝらる, 岐阜ニ到著ノ處、福島左衞門大夫、東武ヘ參覲トシテ川手ニ宿シ、互ニ旅營, かね一まい、けんしゆんに、しろかね五まいくたさるゝ, 康、正則會見ノコトヲ記スレドモ、此事ハ、恐クハ慶長七年ナルベシ、六, 八日、ふる、いよ殿より、ひわらる、ほんそんほう、御きたうのかちん、御ふた、御, 年八月八日、秀康就封ノ條ニ收メタリ、參看スベシ、, 四日、はるゝ、みつ御れう人より、むめらる、はむろ、たけのこしん上、, 川殿獲麟ノ後、能秀頼ヲ補佐セラルヘシ、正則力ヲ竭シ忠ヲ勵サント云、後, ニ往テ面〓アリ、正則カ曰、秀康卿ハ、故太閤養子トセラレ、秀頼ト兄弟也、徳, ○正則江戸ニ赴クコトハ、二日ノ條ニアリ、武徳編年集成ニハ、是時、秀, 〔武徳編年集成〕〓六月五日、越前秀康卿、武陽ヨリ上京トシテ、今宵濃州, 六月三日、はるゝ、御てき物よくて、けんしゆそに、き, 〔御湯殿上日記〕, 御惱御平愈、, 〔御湯殿上日記〕〓十六月三日、はるゝ、御てき物よくて、けんしゆそに、き, 六十, 子, 戊, 結城秀康, 福島正則, ト絶交ス, 慶長九年六月九日, 二九五

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  • 六十

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  • 結城秀康
  • 福島正則
  • ト絶交ス

  • 慶長九年六月九日

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  • 二九五

注記 (26)

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