『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.722

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金地院僧録始祖本光國師, 九日, 事ヲ掌ラシメンガ爲メナリ、因テ左ニ合敍ス, 上申ス、, 日本國源家康、呂宋國太守足下、近年日本人至於其國、作惡逆輩者、於日本無, 斟酌、任此印札、可被申付成敗者也、, ○是歳家康、金地院崇傳ヲ駿府ニ召スコトアリ、蓋シ外交往復文書ノ, 一慶長十三、依召參向于駿城、四十歳、, 八月七日、はるゝ、女御の御かたへ別てんにならし, 別殿ニ幸シ給フ、, 慶長十三年六月十八日, え參上仕、申上候儀共上意ニ叶、廣大之御恩を以、天下僧録司被仰付、, ます、御さか月三こんらる、御しやうはん、女御の御かたなり、, 〔御湯殿上日記〕, 七日, 以心崇傳長老儀、慶長十三年戊申御召ニ付、駿府, 〔芝金地院由緒書〕, ダ神龍院梵舜、駿府ニ抵リ、家康ノ起居ヲ候シ、大織冠像破袋ノ事ヲ, 慶長十三年八月七日九日, ○朝野舊聞哀稿, 五百五十一所載, 聞哀稿ニ, ○朝野舊, 「按するに、國師號を賜はり, しは、寛永三年なり」トアリ, ○上略、十年三月十一日、崇傳南, 禪寺住職トナル條ニ收メタリ、, 六十, 辛, 酉, 四, 亥, 山城, 癸, 女御の御, かき, 慶長十三年八月七日九日, 七二二

割注

  • ○朝野舊聞哀稿
  • 五百五十一所載
  • 聞哀稿ニ
  • ○朝野舊
  • 「按するに、國師號を賜はり
  • しは、寛永三年なり」トアリ
  • ○上略、十年三月十一日、崇傳南
  • 禪寺住職トナル條ニ收メタリ、
  • 六十
  • 山城

頭注

  • 女御の御
  • かき

  • 慶長十三年八月七日九日

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  • 七二二

注記 (38)

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