『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.672

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壽大居士、牌位于今當寺有之、, 我小牧にありて、御誕生の御忌明に、御供仕りて詣たる神社よく覺えたり、, 條に一決せり、其時の證文、今に藤太夫所持す云々としるし, その神は八幡宮にく、小牧山の西北にあたりて、南へ臺門あり、八月十五日, 于此、爲景春贅壻乎、輝政雖生于尾州、匿幼兒於懷、以蟄於一處、數易葛裘、信輝, 藤太夫聞之、實否を糺さむとて、新助とゝもに備前に趣、互に事をいひ募る, 皆以爲龜松丸亦戰死、故安靈牌於龍淵寺、法名號文壽童子、後爲播備淡三國, 此時家臣池田右京亮時康、提携龜松丸、避害於美濃路、還送父信輝、池田莊人, といへとも、眞僞不明の所に、岡山の城中に、老嫗一人あり、その論を聞て言、, 按、輝政在越前、雖家無斯説、彼郷人皆言之、決非妄誕、然則信輝有何等變、寓居, 還住本國、輝政在越前、不圖元龜初、織田朝倉可相矛盾也、於是今年輝政歸其, 龍淵寺譜曰、輝政、小字龜松丸、幼在, 守、慶長十九年正月廿五日、逝于播州姫路城、傳聞其訃、加稱前法名、號量外文, 競馬の神事ある神社こそ、殿の氏神にくましませと申すにて、藤太夫か申, 越前、元龜三年、輝政時九歳、織田朝倉戰于江州姉川、朝倉軍敗、終爲信長亡矣, 〔異本池田系、圖傳〕, 集成三十五所收, ○下, 下○池田氏家譜, 略, 越前ニ在, リシトノ, 輝政幼時, シト傳へ, 亡シテ輝, 政戰死セ, 朝倉氏敗, 説, ラル, 慶長十八年正月二十五日, 六七二

割注

  • 集成三十五所收
  • ○下
  • 下○池田氏家譜

頭注

  • 越前ニ在
  • リシトノ
  • 輝政幼時
  • シト傳へ
  • 亡シテ輝
  • 政戰死セ
  • 朝倉氏敗
  • ラル

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 六七二

注記 (31)

  • 551,640,57,862壽大居士、牌位于今當寺有之、
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