『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.474

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申候と下々にて申候事, 見ニ而、人數押ニ〓罷在候節、窓ゟ日向守殿、此方の人數を見被申、此人數は, 合御聞候、左樣之遺恨にて候哉、日向殿ニはをのけ踏たをし候へなとゝ御, と引合被申候へとも、權右衞門き其通ニいたし、うなつき罷通られ、蜂須賀, たれノ人數と、我か小姓ニ被聞申候へは、石川主殿頭樣人數と申候處に、日, き罷在聞申候、其後主殿樣御押、日向殿前を御通候節、永井右近大夫、主殿樣, 安藤帶刀なと罷在られ、權右衞門殿と水野日向殿と、知人にいたし候はん, 阿波守殿舟を借、小川ヲ越候時、權右衞門殿被申候は、日向人數は、壹人も越, 向殿被申候は、あのせかれか人數かと挨拶致候ヲ、權右衞門殿、其前ヲ通り, へ御申候は、大三河之寄合にて、さはちの出合、あふなき事と御申候へは、主, させ申な、主殿人數は、草履取ニ至まて、一人も殘すなと下知いたされ候、此, 右之通、日向守殿え、權右衞門殿御申候者、遺恨有之〓被申候と相見へ候、伏, 詞をは、誰も脇ニ存たる者はあるましく候、大河内金三郎、權右衞殿傍ニつ, 殿樣被仰候は、私式申事は聞不申候間、左樣ニ可有之と被仰候事。, 一右之通舟を越、馬喰か淵ニ陣取、明廿九日之未明ニ、馬喰が淵へ番舟を出, 伯樂淵ニ, 忠總ノ兵, 蜂須賀氏, 權右衞門, ノ船ヲ借, 迫ル, リテ渡ル, 慶長十九年十一月二十九日, 四七四

頭注

  • 伯樂淵ニ
  • 忠總ノ兵
  • 蜂須賀氏
  • 權右衞門
  • ノ船ヲ借
  • 迫ル
  • リテ渡ル

  • 慶長十九年十一月二十九日

ノンブル

  • 四七四

注記 (24)

  • 243,634,56,714申候と下々にて申候事
  • 707,632,58,2213見ニ而、人數押ニ〓罷在候節、窓ゟ日向守殿、此方の人數を見被申、此人數は
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