『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.77

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ゟ百万石迄三千人となり, 候、, 大坂之扱ニ成タル事、未下々ハシカト不知、アツカし二ナ, 百人、拾五万石ゟ貳拾万石迄四百人、貳拾万石ゟ貳拾五万石迄八百人、貳拾, 身は勝手次第と仰渡さる、諸大名大に悦ひ冥加至極忝旨老中迄御禮申上, ると也、扨又普請役雜兵の事壹万石たり共出し申度由右願に依て、則其通, すと也、扨又歳暮年始を兼て出仕被致へき由、是も陣役によりいとまなき, 万石より七万石迄五十人、七万石ゟ拾万石迄百人、拾万石ゟ拾五万石迄貳, 五万石ゟ三拾万石迄千五百人、三拾万石より五拾万石迄貳千人、五拾万石, りに定らるゝ事、高壹万石ゟ三万石迄廿人、三万石より五万石迄三十人、五, 月二日より、外側を破却すへしとなり、勿論五万石以下の大名は殘るに及, 大名悉く御暇賜り、但し五万石以上は壹萬石に付て廿人宛雜兵を殘し、正, 將軍家は土井大炊助二條より歸を待給ひ、大御所の御内意を以、在陣の諸, 〔北川遺書記〕十二月廿一日より、堀を埋、矢倉をこほち、三ノ丸を悉く破申, 〔攝戰實録〕〓將軍家御歳暮、并大坂に被差殘人數定之事, 〔翁物語, 後集, 八, 出仕, 諸大名ノ, 普請役雜, 兵ノ徴發, 慶長十九年十二月二十一日, 七七

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  • 後集

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  • 出仕
  • 諸大名ノ
  • 普請役雜
  • 兵ノ徴發

  • 慶長十九年十二月二十一日

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  • 七七

注記 (24)

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