『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.117

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共、九兵衞殿をとりおき申ニかゝり合、我等もてをおい申候間不罷成候, 並ニ我等も長ゑのやりをもち、てきの中へはせ入つき合申候て、三やり, や五六人てやりをもちかゝり申候所ニ、九兵衞殿其中へつき入被成候, 如此かうみやう仕候と申候て、與兵衞殿へ、我等とり申候くひを御目ニ, かけ申候へは、與兵へ殿被仰候は、九兵衞殿打死は不及是非、自分のかう, ニうちかけ、いそき壹町計相のき申候所ニ、大谷與兵へ殿かうみやう被, 打おり申候間、てきのかたなを引ぬき、則くひをとり申候所ニ、九兵衞殿, 成、くむをもたせ、我等左之ひかしノ方を御はた本之方へ御越被成候間, おい付申候て、我等與兵衞殿へ申候は、九兵衞は如此打死被申候、我等は, みやうてから之儀と被仰候、則我等もち、御前へくひ上可申と奉存候へ, 打死被戌候間、く心をてきにとらま申間敷と存、七八人付、九兵衞殿を馬, つかれ申候、内一やりは身ニあたり申候、我等もち申候やりとうり不申, 候間、刀ニてきりころはつし、くむを取申候所ニ、くそくへあたり、我等刀, 一御そなへの前之田をこし、むき畠をこし、さきの田を二三間野之かたへ, あかり、九兵衞殿馬よりおり被成候所ニ、てき大せい御座候中ゟも、むし, 元和元年五月七日, 秀重ノ戰, ト並ビ進, 丹羽秀重, 死, 一一七

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  • 秀重ノ戰
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  • 一一七

注記 (21)

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