『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.529

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申候、其後京極殿大津之藏屋敷奉行宗語と申ものの忰十二三ニ成申もの、, 人の御末ニて、後ニは世に御出可有之候、能々そたて候へとて、養子に下さ, ゟ若狹のと幾や彌左衞門と申者の兄弟、後家ニて居り申候もの、此御子去, おしなかし申筈相極申候を、右の後家、是非とも御供可仕由ニて、一つ舟ニ, れ、此御子七歳迄とき彌左衞門所ニてそたて申候所ニ、寅年大坂籠城ニ付, 談ニ成、若君は其まゝ大坂ニ御ざ候、田中六左衞門も御守ニ被戌、大坂ニ居, 方へも失ひ申候樣ニと、京極殿御はからひこて、小舟にのせ、張付ニいたし、, 此御子秀頼公の御實子ニて候故、關東ゟ御せんさく可有之候間、とかく何, のせ、張付ニいたし、おしなかし申はつニ相極メ申候、其後十日計有之候て、, を尋出し、若君をは長持ニ入、京極殿御道具と書付して、大坂へ入申候、其時, 頼公の御母公は、京極若狹殿御兄弟成故、此若君をは預り被成候處、京極殿, 此度彼若君を大坂へ御返し可有との相談ニて、早舟を仕立、浦々尋、漸彼舟, 秀頼公の御子國松殿は、伊勢ゟ御奉公ニ出られ候女中の腹ニ御座候を、秀, 御供ニ彼後家と、京極殿内田中六左衞門と申もの、若君ニ付申候、其後御和, 京極殿御袋御扱の御使を御頼可相成候由ニて、俄に大坂へ人御越候故、幸, ノ姉妹某, 彌左衞門, 二養ハシ, 京極氏國, 松ヲ若狹, ノときや, 國松ヲ大, 國松ノ生, 坂ニ返ス, 母, 元和元年五月二十三日, 五二九

頭注

  • ノ姉妹某
  • 彌左衞門
  • 二養ハシ
  • 京極氏國
  • 松ヲ若狹
  • ノときや
  • 國松ヲ大
  • 國松ノ生
  • 坂ニ返ス

  • 元和元年五月二十三日

ノンブル

  • 五二九

注記 (27)

  • 275,618,62,2246申候、其後京極殿大津之藏屋敷奉行宗語と申ものの忰十二三ニ成申もの、
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