『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.380

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家中迷惑仕候御事, 殿は、前角之筋目のことく、被爲得上意可被下之仰ニ候、乍去寺社之事た, 得上意可被下候由御意ニテ候へとも、程ナク大權現樣御他界被戌候故, 姓ハ野中村之三石ヲ指上ケ、境内ト三石ト一紙ニ望ミ、境内ト共ニ、貴布, るの間、傳長老ヘモ理リ申候へと被仰候故、則傳長老へ參り、度々御斷申, 候へとも、傳長老之御手前にて相滯、社家中迷惑仕罷在候處ニ、貴布禰之, 百姓等、此五六ケ年以來、社人之體をいたし、賀茂之下知をにむき、賀茂社, 押ヘ被成、賀茂ヘ被仰聞ニ付而、始テ承リ、社中驚入御斷申上候ヘハ、被爲, 一元和三年、台徳院樣御朱印出申候時、賀茂より御訴訟申上候へは、伊賀守, 百姓者、三石分頂戴仕候、殊ニ其三石之御朱印ニ社人中ト御座候由にて、, 禰之里ヘ頂戴可仕ト才覺仕ヲモ、賀茂ニハ曾テ不存之處ニ、伊賀守殿御, 乍迷惑打過申候御事, 兩御所御判寫以下、以兩使、今日遣之、但傳奏衆へ可相渡由返答, 〔義演准后日記〕〓閏六月十六日、伊州奉行金子八郎兵衞へ、門領高書拜, 元和元年七月二十七日, 及ビ西池氏見, 連署訴状寫, ヽ○上下略、寛永十四年正月六日附、寺社奉行宛、上賀茂, 社家中雜掌中大路季定、山本氏之、岡本保最、藤木成良, 三八〇

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  • 及ビ西池氏見
  • 連署訴状寫
  • ヽ○上下略、寛永十四年正月六日附、寺社奉行宛、上賀茂
  • 社家中雜掌中大路季定、山本氏之、岡本保最、藤木成良

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  • 三八〇

注記 (20)

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