『大日本史料』 12編 27 元和三年四月~同年八月 p.594

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一坊いよ〳〵息災候由、珍重候事、, 一又今度は、神事之刻奇特共有之由、さやうに可有之事、, 法印へ返事遣候、可屆候事、, 事不遣候由可申事、, 御執行之爲と記したるも有之候得共、御文面之樣子、中々左樣之延々, 彌三, 考ニ、忠興君初而放生會御執行之事、元和五年と記し、又四年五年兩度, 日、御國ニ被下候御書ニ、放生會之事よくわかり申候、尤是を元和五年, 執行し給ふなと有は誤なるへし、元和二年十一月、行幸會御執行、同三, 六日、光壽院樣御逝去ニ而御座候、, 一傳右衞門、道家龜右衞門、左門、龜之助書状披見候、やかて令下國候間、返, 一八月十八日之書状相屆披見候、宇佐放生會相濟、御洗米壹合頂戴候、則, 一爰元替儀無之事、已下略、, 之事とは見へ不申、其上放生會何之障なく相濟、奇瑞なと有之たる趣, 年なるへきゆへは、永勝院法印ニ成くたられ候節、元和三年七月廿七, 年八月、放生會御執行之事、數通之御書ニ而、明白ニ御座候、四年七月廿, 元和三年八月十五日, 月二十日、藤孝卒去ノ條ニ見一, ○光壽院ノコト、慶長十五年八, 五九四

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  • 月二十日、藤孝卒去ノ條ニ見一
  • ○光壽院ノコト、慶長十五年八

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  • 五九四

注記 (20)

  • 1805,771,63,976一坊いよ〳〵息災候由、珍重候事、
  • 1452,770,67,1616一又今度は、神事之刻奇特共有之由、さやうに可有之事、
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