『大日本史料』 12編 41 元和七年雑載 p.104

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かへたてまつる、元和七年正月十四日死す、法名花覺定慶、, 寛永のとき呈するところの譜は、みな支庶の家にして、嫡家は助之丞正久が時にいたりて、, まつらしめ、寛永系圖と參考して正久までの譜をつくる、寛永系圖に清和源氏甲州支流に, 席を貶され、いまは呈譜の列にあらずといへども、その子孫喜内承正をして、系圖をたて, 田家に仕へしとき、父が家號を隱して、本苗窪田に復すといふ、よりて今改て頼季流に收, 窪田, ふたゝび武, 〔寛政重修諸家譜〕, いたりて、武田家につかへ、のちゆへありて處士となる、長親より長義まで小坂・矢井・時田・, 小室坂等をもつて家號とし、長義もまた小室坂を稱す、男文左衞門正長, 其子を刑部長親といひ、これより十代にして、備中守長義に, 收むといへども、今の呈譜に、井上掃部助頼季より八代小太郎長時はじめて窪田を稱す, む、, 窪田, 〔寛政重修諸家譜〕, 正重, 分脉、長時窪小太郎とありで, 寛永系, 寛永系圖, 窪田を稱すること所見な, 圖、直重, 久保田, 二百五, 二百五, 十一, 十二, 尊, 卑, 小右兵衞、, 小兵衞, ニ仕フ, 後家康秀忠, 元和七年雜載, 一〇四

割注

  • 分脉、長時窪小太郎とありで
  • 寛永系
  • 寛永系圖
  • 窪田を稱すること所見な
  • 圖、直重
  • 久保田
  • 二百五
  • 十一
  • 十二
  • 小右兵衞、
  • 小兵衞

頭注

  • ニ仕フ
  • 後家康秀忠

  • 元和七年雜載

ノンブル

  • 一〇四

注記 (34)

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