『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.299

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

功をあらはす、十二年四月九日、長久手の役に廣勝鎗を合せ、敵一人を討取る、このとき, あり、二十八日、廣勝、康高にそふて御先にすゝみ、諸士とゝもに刈田の兵を追討し、戰, 郎某・近藤武助某・菅沼兵藏某・鷲山傳八郎某・久世三四郎廣宣等、鎗を合せ敵二人を討, とる、時に廣勝、銕炮にあたりて疵をかうぶる、九年三月二十二日、高天神落城のとき、, めて退かむとす、敵兵その跡を追、康高等防戰す、廣勝、しば〳〵戰て軍功あり、すでに, をいて伏兵をまうけて敵をうつ、廣勝、このとき敵一人を討とる、八年三月十六日、高天, 神の城兵天王馬場に出張す、康高、中村の砦より兵を發しこれを討、廣勝をよび氏家金次, 陣すること、やうやく二里ばかりなるをしらず、此事を告るものありしかば、各兵をおさ, 伏兵をまうけこれをやぶらむとす、こゝにをいて、明日東照宮御出馬あるべきのむね御読, にて北條氏直が軍中をうかゞはむがため、乙骨にいたり、氏直が四萬餘騎の兵と山を隔て, 廣勝も首級を得たり、十年八月、東照宮甲斐國新府に渡御のとき、御先手の諸將三千餘騎, して氏直と若神子に御對陣の時、敵兵豆生田に砦を構へ、刈田をなす、二十七日、康高等、, せぐ、このとき廣勝、敵兵安間彦次郎某を討取、十月二十一日、康高等、遠江國河上村に, 松平周防守康親・大須賀康高、殿して敵をふ, 元和八年十一月二十日, ○家康、武田勝頼ノ駿河府中ニ出陣スルニ依リ、牧野, 城ニ入ルコト、天正七年九月二十五日ノ條ニ見ユ, 天王馬場ニ, 乙骨ノ陣ニ, 軍功アリ, テ疵ヲ蒙ル, 元和八年十一月二十日, 二九九

割注

  • ○家康、武田勝頼ノ駿河府中ニ出陣スルニ依リ、牧野
  • 城ニ入ルコト、天正七年九月二十五日ノ條ニ見ユ

頭注

  • 天王馬場ニ
  • 乙骨ノ陣ニ
  • 軍功アリ
  • テ疵ヲ蒙ル

  • 元和八年十一月二十日

ノンブル

  • 二九九

注記 (23)

  • 296,730,71,2173功をあらはす、十二年四月九日、長久手の役に廣勝鎗を合せ、敵一人を討取る、このとき
  • 417,730,72,2182あり、二十八日、廣勝、康高にそふて御先にすゝみ、諸士とゝもに刈田の兵を追討し、戰
  • 1388,715,72,2186郎某・近藤武助某・菅沼兵藏某・鷲山傳八郎某・久世三四郎廣宣等、鎗を合せ敵二人を討
  • 1269,722,67,2144とる、時に廣勝、銕炮にあたりて疵をかうぶる、九年三月二十二日、高天神落城のとき、
  • 782,725,68,2178めて退かむとす、敵兵その跡を追、康高等防戰す、廣勝、しば〳〵戰て軍功あり、すでに
  • 1632,722,70,2173をいて伏兵をまうけて敵をうつ、廣勝、このとき敵一人を討とる、八年三月十六日、高天
  • 1509,716,73,2178神の城兵天王馬場に出張す、康高、中村の砦より兵を發しこれを討、廣勝をよび氏家金次
  • 902,723,69,2179陣すること、やうやく二里ばかりなるをしらず、此事を告るものありしかば、各兵をおさ
  • 537,727,73,2182伏兵をまうけこれをやぶらむとす、こゝにをいて、明日東照宮御出馬あるべきのむね御読
  • 1025,725,69,2171にて北條氏直が軍中をうかゞはむがため、乙骨にいたり、氏直が四萬餘騎の兵と山を隔て
  • 1146,715,70,2192廣勝も首級を得たり、十年八月、東照宮甲斐國新府に渡御のとき、御先手の諸將三千餘騎
  • 659,735,72,2187して氏直と若神子に御對陣の時、敵兵豆生田に砦を構へ、刈田をなす、二十七日、康高等、
  • 1753,720,71,2172せぐ、このとき廣勝、敵兵安間彦次郎某を討取、十月二十一日、康高等、遠江國河上村に
  • 1884,1802,65,1091松平周防守康親・大須賀康高、殿して敵をふ
  • 187,779,47,427元和八年十一月二十日
  • 1899,713,54,1042○家康、武田勝頼ノ駿河府中ニ出陣スルニ依リ、牧野
  • 1857,709,50,951城ニ入ルコト、天正七年九月二十五日ノ條ニ見ユ
  • 1513,272,45,203天王馬場ニ
  • 1029,278,45,198乙骨ノ陣ニ
  • 986,275,39,164軍功アリ
  • 1471,275,43,206テ疵ヲ蒙ル
  • 187,779,47,427元和八年十一月二十日
  • 203,2524,44,125二九九

類似アイテム