『大日本古文書』 幕末外国関係文書 15 安政3年9月~同4年4月 p.434

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八里程ニ〓ホロコタン、此所之土人追々ウシヨロえ致轉住、當時蝦夷土人, し、シツカ河原え舟を浮へ、西浦え出るよしニ候得は、東西通路之便利ニ據, り、巣穴を相構候儀う被察候之處、前文之如く、ヱンルモコマフよりホロコ, ヨロき大澗形有之、此邊鯡鱒漁潤澤ニ付、土人力を不盡して飯料ニ差支な, 里餘之間、貳三里ツゝ隔、同夷家兩三軒より七八軒位連續いたし、其内ホロ, き土地ニ付、凡三里餘之間、家數拾八軒人別凡百六拾人餘有之、夫ゟ凡貳拾, 場所右、ウシヨロを以最一5いたし候得は、魯夷必す是を察し、不遠して此, シカ并コタンウトルとも、纔ニ土人家壹軒ツゝ、人別何れも八九人程、ウシ, 處え蠶食し來らん事必然之儀ニ可有之ら甚心痛仕候、然ル處、クシユンナ, イは、東浦え之通路有之候ニ付、御締所御取建は勿論之儀ニ候得共、夫而已, も至ふ宜敷、其上貳里程奧地アラコヱより山中之夷ロモウス之部落え通, タンまて凡九拾里程之間ニおゐて、生産之都合宜敷、自然土人之集り居候, 之家壹軒も無之、スメレンクル夷之家貳軒有之、此所よりナツコ迄凡四拾, コタンゟ凡拾八九里、ホヱチヱンルモン之間ニ魯夷滯留罷在、此處き地險, ニ〓御差置ニ相成候得は、御國境も自ら此所ニ限り候姿ニ相成可申歟、尤, ヲ蠶食セ, うしよろ, 露人必ズ, 安政三年十二月, 四三四

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  • ヲ蠶食セ
  • うしよろ
  • 露人必ズ

  • 安政三年十二月

ノンブル

  • 四三四

注記 (20)

  • 1476,621,63,2213八里程ニ〓ホロコタン、此所之土人追々ウシヨロえ致轉住、當時蝦夷土人
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