『大日本近世史料』 細川家史料 4 細川忠興文書四 p.229

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見せ之被遣候もの共も頓西可歸間、樣子可被申越候、陣用意も于今不成、下々を疑、そ, 子と不存、大膳屋敷とりまかれ候、頓〓埓明可申間、重る可申越由注進申候由候、其上, なと仕候由候、又若キ者共は、肥後被果候同前二候間、城にて腹を切可申と申者七八人御, 座候へ共、連々左樣之者すくなく成申之由、左樣之可在之儀二候、豐後之御横目衆ゟも状, れ之かゝりて被居之由、せめて肥後へ御人數被遣候程之御用こも不被立、何と戍行可申, 慥語申候由、絶言語たる儀之候、未兩方手出と無之由候、又堺目二被置候もの共ゟは、樣, 一、肥後之儀、日々注進在之由候、肥後所ゟ、城を渡候へと申來候を渡可申と、はし〳〵拂除, 事、, 肥後へ其方なと不被越内二、事濟候へかしと存候事、, を出、殘二人出不申、何と成行候哉不知由、筑前之町人六月十六日こ福岡を立、其地にて, 儀候哉と存候、九州こは明國多出來候はんと存候、栗山外之年寄共は、何と成行候哉承度, 參候、それ之右馬允隈本渡候へと申使二參候由候、頓る渡可申由、左樣二可在之と存候、, 一、其元事之外之旱にて、田畠いたみ候由、苦々敷儀二候事、, 一、大隅殿之分領へよ、肥後之者共はし〳〵女子をつれて參之由、隅州ゟ申來候事、, ク出來セン, 九州ニ明國多, 境目ニ置キシ, 領内早害, 肥後領分ノ者, 熊本城中ノ動, 薩摩ニ逃ル, 者ヨリノ注進, 筑前町人ノ談, ヲ屋敷ニ集ム, 靜, 寛永九年七月(九八〇), 二二九

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  • ク出來セン
  • 九州ニ明國多
  • 境目ニ置キシ
  • 領内早害
  • 肥後領分ノ者
  • 熊本城中ノ動
  • 薩摩ニ逃ル
  • 者ヨリノ注進
  • 筑前町人ノ談
  • ヲ屋敷ニ集ム

  • 寛永九年七月(九八〇)

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  • 二二九

注記 (27)

  • 2125,835,113,3333見せ之被遣候もの共も頓西可歸間、樣子可被申越候、陣用意も于今不成、下々を疑、そ
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