『大日本近世史料』 細川家史料 6 細川忠興文書六 p.150

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不申候へ共、惡敷は成不申候、米二色内、唐之米新米之こしらへたる、何も胸nつかへ不, 申由、頓るくい候て見可申候、滿足申候、唐之米は弥敷儀二候、, 々者共兵粮之ためニ江戸へ廻候へとの儀候哉、若左樣二候し、江戸へ廻候米何として我々, きと存候事、, 所n可在之哉事、, 爲見廻書状、披見候、我々煩二付、少峰流之藥間を置〳〵のみ申候、いつものほとはきゝ, 、木工へ之書状之内二、江戸米高直こて、飢饉之躰候間、江戸へ米廻シ可然かと承候は、我, 以上, り、板倉も永信州も所之ねこたかく被賣候由、米持候衆は所こて高ク賣候儀心安儀たるへ, 一、上方うり米も、上樣御米壹石三十四匁宛乙被成御賣二付、尾張・紀伊國も其なみ二御う, 一四四五八月十九日書状(卷紙), 一、鳥居跡廿五萬石、星名肥後殿へ被遣、今まて肥後殿御取候三萬石、鳥居弟二被下由事、, 寛永十三年八月(一四四五), 寛永十三, (端裏貼紙、異筆), (徳川家光), 寛永十三, リ効カズ, 唐ノ米, 少峰流ノ藥餘, ク飢饉ノ躰, ニテ賣ル, 諸大名モ高直, 江戸ニ廻米然, 江戸ノ米價高, 府賣米壹石一, 上方ニテノ幕, 十四匁宛, ル可シトノ忠, 利ノ意見ヲ質, 保科正之ハ山, ス, 寛永十三年八月(一四四五), 一五〇

割注

  • (端裏貼紙、異筆)
  • (徳川家光)
  • 寛永十三

頭注

  • リ効カズ
  • 唐ノ米
  • 少峰流ノ藥餘
  • ク飢饉ノ躰
  • ニテ賣ル
  • 諸大名モ高直
  • 江戸ニ廻米然
  • 江戸ノ米價高
  • 府賣米壹石一
  • 上方ニテノ幕
  • 十四匁宛
  • ル可シトノ忠
  • 利ノ意見ヲ質
  • 保科正之ハ山

  • 寛永十三年八月(一四四五)

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  • 一五〇

注記 (34)

  • 1209,734,69,2177不申候へ共、惡敷は成不申候、米二色内、唐之米新米之こしらへたる、何も胸nつかへ不
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