『大日本近世史料』 細川家史料 10 細川忠利文書三 p.174

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上使衆差圖次第、人數を召連罷出候へとの上意とて、御觸状參候、其通申付候、, 五〇八六月十六日書状案, 一、若、隈本及臭儀候はゝ、爲其二候條、我等・黒田・鋼嶋も、内々人數之用意仕相待、御, 尚々、奉行衆の之状二、上包二御印判被成被下候、慥相屆申候、以上, 六月十五日, 一、上使衆小倉へ御出候はん由、大方定たると申來候、是は何と仕たる儀にて候哉と存候へ, は、内藤左馬舟二ゑひ、かちを被參候ニ付〓、如此と申候、世二めつらしき儀共と奉存, 早打を差下申候間、申上候、, 貴田半左衞門尉殿, 寛永九年六月(五〇八), セヨトノ觸來, 城受取ノ上使, 有事ニハ出兵, 衆小倉へ立寄, ル豫定, 忠利等へ熊本, 内藤政長船醉, ル, 寛永九年六月(五〇八), 一七四

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  • セヨトノ觸來
  • 城受取ノ上使
  • 有事ニハ出兵
  • 衆小倉へ立寄
  • ル豫定
  • 忠利等へ熊本
  • 内藤政長船醉

  • 寛永九年六月(五〇八)

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  • 一七四

注記 (20)

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