『維新史』 維新史 3 p.466

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は、庶民は固より武士と雖も下馬して敬意を表するを例とするが故に、遭難せる, 對する米國と他の列國使臣との態度の相異は、終始渝る所がなかつたのである。, らうとて反對し、結局江戸の有司に對しては、將軍の歸府迄對英囘答延期の交渉, 六日慶喜・慶永は前尾州藩主徳川慶勝と連署の一書を關白鷹司輔熙に呈して、幕, 題についても、英國の要求は過重であると評してゐた。斯くの如き生麥事件に, を命じたのである。一方朝廷に對しては、努めて對英強硬態度を裝ひ、二月二十, 英人一行の側にも不行屆の點があるとの見解を持してゐた。從つて賠償金問, 拘らず、宗城等は攘夷の朝命に違背するのみならず、諸藩の異論を招來するであ, 等と會して對英措置を協議した。而して慶喜が償金支拂の意見に傾けるにも, 議は英國の要求拒絶に決したる故に、戰端開始は必至の形勢にあると説き、恰も, 飜つて生麥事件に關する京都の情勢を見るに、當時滯洛中の將軍後見職一橋, 慶喜・政事總裁職松平慶永は、頻りに前土州藩主山内豐信・前宇和島藩主伊達宗城, 我に同情ある態度をとつてゐた。彼は日本の風習に依れば、大名行列に對して, して、我を威嚇する有樣であつた。是に反して米國公使プリューヰンは、比較的, 要路の協, ける幕府, 京都に於, 議, 第二章攘夷の實行第一節生麥事件, 四六七

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  • 要路の協
  • ける幕府
  • 京都に於

  • 第二章攘夷の實行第一節生麥事件

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  • 四六七

注記 (20)

  • 1646,555,63,2299は、庶民は固より武士と雖も下馬して敬意を表するを例とするが故に、遭難せる
  • 1297,554,59,2319對する米國と他の列國使臣との態度の相異は、終始渝る所がなかつたのである。
  • 707,554,60,2303らうとて反對し、結局江戸の有司に對しては、將軍の歸府迄對英囘答延期の交渉
  • 457,551,59,2303六日慶喜・慶永は前尾州藩主徳川慶勝と連署の一書を關白鷹司輔熙に呈して、幕
  • 1410,552,64,2299題についても、英國の要求は過重であると評してゐた。斯くの如き生麥事件に
  • 583,558,59,2298を命じたのである。一方朝廷に對しては、努めて對英強硬態度を裝ひ、二月二十
  • 1529,551,62,2305英人一行の側にも不行屆の點があるとの見解を持してゐた。從つて賠償金問
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