『保古飛呂比』 保古飛呂比 6 明治7年~同8年 p.31

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等の儀も承り不申候、, 人見込と御參考被遣度、〓其中確認を得不申事多可有御坐中二、全く虚實も可有之、此邊甚心配仕, 可申候得共、決て其勢無之と愚考仕候、乙四郎よりも御直承被遣度奉存候、, 候得共、此邊は兼て決心仕候間、聊か相厭不申候、只事を得ぬが今日の憾にて御坐候、御賢察可被, 之、折に觸れ士官輩と出會致候由に候得共、此人は山地輩とは格別にて、暴激の論は決て無之、〓, 邊は御安心可被成奉存候、過日申上候北山分之聊人氣立候風説有之候得共、爲差義も無之、此頃何, 候、御聞置可被遣候、最初の見込と相違致し、彼非軍頗る穩密に事を謀り、表面は何も相替事無之、, 候、且探索人數名入込候風評、世上の取沙汰高く、小拙等も自然疑を受候樣にて、如何にも心配仕, 分過日の一擧に乘じ事を起候萠しは決て無之、兼ても申上候通、兵隊外二荷擔の氣敷相見不申、此, 候、片岡健吉も下著に相成り、議論は總て相廢し、學校取立と申事には候得共、主意は他に可有, 時情別紙に相認候樣承知仕候、小畑乙四郎へ此度は一切相託し、見聞丈け相認差上候心得に付、同, 縣人に歸候樣の姿、何共遺憾に絶不申候、右に就ては、當縣の嫌疑も彌増の段、實に不免處と存申, 遣候、何分他より見ると内より見るとは甚相違にて、縣内には物議も盛にて、事の有る樣に相聞へ, 甚虚實動靜難窺苦慮仕候、乍〓今般の變に事を發候事は存掛も無之、一體右失策に落膽の姿に御坐, 遣、事情委敷承知仕候、都平穩の趣、恐悦此事に御坐候、然るに喰違下手人も追々相顯れ候處、我, 卷三十四明治七年(二一月), 三一

  • 卷三十四明治七年(二一月)

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  • 三一

注記 (17)

  • 1196,620,53,502等の儀も承り不申候、
  • 972,620,58,2369人見込と御參考被遣度、〓其中確認を得不申事多可有御坐中二、全く虚實も可有之、此邊甚心配仕
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