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からひによる所也と聞召され、重信を召決せらる、, 和二年七月十四日、五十九歳にて卒す、男子なけれは家絶たり, 廿三切らせて獻る、かゝる所に遠江守康勝卒して後、彼家の老等か訴ふる, むため、御暇申て、信濃國諏訪の温泉にゆあみんとて趣き、身の病以の外に, す旨其謂れなきにあらす、重ねて御裁斷あるへしと仰下さる、重信疵療せ, なり、醫療のため山道を經て都に上る、鳥居峠の麓奈良井といふ所にて、元, に依て、五月六日、若江の合戰に、榊原か手の軍勢戰に逢はさる事、重信か計, 重信陳し申, 共に、天王寺に向ひ戰て、自らも高名し、薄手二か所かふむり、手の者共に首, 〔斷家譜〕二十小野藤田, ノ條二見ユ, 八尾附近ノ戰, 此事榊原か, 藤田か事、夏, 傳に詳なり, 目か記に見, へたり、事長けれは其要をとつて爰にしるしぬ、○信吉、寛政重修諸家譜ニ, 本國上野、, ハ、或ハ信吉トシ、或ハ忠季ト稱シ、廢絶録ニハ、重信トス、今姑ク藩翰譜ニ從, 紋、, フ、信吉、〓原康勝組ノ軍監タルコト、四月二十五日、東軍ノ先鋒河内ニ入ル, 條二、若江八尾附近ノ戰ニ、小笠原隊ノ進撃ヲ制止スルコト、五月六日、若江, 八尾附近ノ戰, 日信吉死, 七月十四, 元和二年, ノ家臣信, 吉ヲ訴フ, 榊原康勝, 二五三, 元和元年十二月二十七日
割注
- 此事榊原か
- 藤田か事、夏
- 傳に詳なり
- 目か記に見
- へたり、事長けれは其要をとつて爰にしるしぬ、○信吉、寛政重修諸家譜ニ
- 本國上野、
- ハ、或ハ信吉トシ、或ハ忠季ト稱シ、廢絶録ニハ、重信トス、今姑ク藩翰譜ニ從
- 紋、
- フ、信吉、〓原康勝組ノ軍監タルコト、四月二十五日、東軍ノ先鋒河内ニ入ル
- 條二、若江八尾附近ノ戰ニ、小笠原隊ノ進撃ヲ制止スルコト、五月六日、若江
- 八尾附近ノ戰
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- 日信吉死
- 七月十四
- 元和二年
- ノ家臣信
- 吉ヲ訴フ
- 榊原康勝
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- 二五三
- 元和元年十二月二十七日
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