『維新史』 維新史 4 p.90

Loading…

Element

割注頭注ノンブル

OCR text

と記し奉つてゐる。, る者一人もなかつた。, 一戰を會津藩と交へて最後を遂げたしと主張したので、左馬介も遂に別離して, 重く、且つ三條實美卿及び毛利慶親父子に會すべき面目が無いとして之を拒み, に下つて再擧の機を待つべしと勸告したが、和泉は、禁門を血を以て汚した罪は, 介は既に長州に下り、宍戸左馬介が獨り留つてゐた。左馬介は和泉に再び長州, 尋いで長州藩士及び浪士に對し追討が行はれた。二十日薩州・松山, 西下した。和泉は大澤逸平を長州に下して天王山最期の状況を報告せしめ、筆, 大山の三禰の岩禰に埋にけり, に堺町門の戰に敗れた眞木和泉は、一先づ此の地に歸つたが、此の時盆田右衞門, 田原・膳所の諸藩兵は嵯峨の天龍寺に向つたが、此の地には長州藩兵の留つてゐ, を取つて、, 二十一日には會津・桑名・彦根・郡山の諸藩兵及び新選組が天王山に赴いた。曩, わかとし都きの大和魂, 小濱・小, 豫, 伊, 天龍寺追, 天王山追, 等屠腹, 眞木和泉, 討, 討, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 九〇

割注

頭注

  • 天龍寺追
  • 天王山追
  • 等屠腹
  • 眞木和泉

  • 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役

ノンブル

  • 九〇

Annotations (25)

  • 1727,591,55,533と記し奉つてゐる。
  • 1375,591,55,597る者一人もなかつた。
  • 685,593,60,2264一戰を會津藩と交へて最後を遂げたしと主張したので、左馬介も遂に別離して
  • 800,583,60,2270重く、且つ三條實美卿及び毛利慶親父子に會すべき面目が無いとして之を拒み
  • 916,587,59,2270に下つて再擧の機を待つべしと勸告したが、和泉は、禁門を血を以て汚した罪は
  • 1032,585,59,2276介は既に長州に下り、宍戸左馬介が獨り留つてゐた。左馬介は和泉に再び長州
  • 1607,655,63,1935尋いで長州藩士及び浪士に對し追討が行はれた。二十日薩州・松山
  • 571,584,60,2275西下した。和泉は大澤逸平を長州に下して天王山最期の状況を報告せしめ、筆
  • 337,788,56,861大山の三禰の岩禰に埋にけり
  • 1146,589,60,2274に堺町門の戰に敗れた眞木和泉は、一先づ此の地に歸つたが、此の時盆田右衞門
  • 1489,586,61,2274田原・膳所の諸藩兵は嵯峨の天龍寺に向つたが、此の地には長州藩兵の留つてゐ
  • 457,591,52,259を取つて、
  • 1260,655,60,2209二十一日には會津・桑名・彦根・郡山の諸藩兵及び新選組が天王山に赴いた。曩
  • 220,1130,56,651わかとし都きの大和魂
  • 1614,2678,54,180小濱・小
  • 1601,2616,40,39
  • 1645,2616,39,37
  • 1612,324,43,167天龍寺追
  • 1261,324,45,165天王山追
  • 530,320,38,123等屠腹
  • 573,317,41,169眞木和泉
  • 1571,323,38,39
  • 1221,323,41,39
  • 1842,701,47,959第十三編禁門の變及び第一囘征長の役
  • 1850,2386,43,80九〇

Similar items