Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
そ尊師聖寶僧正, ○弟子眞頼ノ事蹟、左ニ附載ス、, さかりにして、專小野一派の正嫡を傳へしより以來、觀賢僧正受つぎて補, したまひぬ、當寺は鎭護國家の道場、淨行薫修の聖跡なるべしと、起請文を, しるされたり、其次の座主にて、内供も此寺の傍に一寺をかまへ、普賢院と, 密、受法以降若干年、三時念誦、一時不休、命終之日、喚受法弟子長教、相語曰、今, 號し止住す、いづれの年か、寺もすたれ亡て今その墓のみ殘れり、, 日決定可入滅、所未授畢金剛界印契眞言等、可書一界便沐浴授畢、命諸弟子, 座主のとき、當寺に止住して、殊に眞言の受學, 〔近江國輿地志略, 法師位淳祐不留依身、向空飛去、行業如別傳、渡天之跡于今存、云片履岡此也、, 師堂の後、凉所の下にあり、土俗、惡源太義平の墓なりといふものは非なり、, 〔日本往生極樂記〕石山寺僧眞頼就内供奉十禪師淳祐、受眞言法、明於三, この墓ある地、古昔普賢院と號する寺地にして、則淳祐の寺なり、〓中を, 年六十四、, 志賀郡三十二普賢院淳祐墓本堂の艮、祖, 〔石山寺年代記録〕〓近江天暦七年七月二日、座主内供奉十禪師傳燈大, 寺邊莊, 三十七, 兵部大丞葛, 聲王の息, 志賀郡三十一, 僧眞頼ノ, トノ説, 淳祐墓, 弟子長教, 寺趾, テ飛去ル, 豫告ス, 普賢院ノ, ニ死期ヲ, 空ニ向ツ, 傳, 天暦七年七月二日, 九八三
割注
- 寺邊莊
- 三十七
- 兵部大丞葛
- 聲王の息
- 志賀郡三十一
頭注
- 僧眞頼ノ
- トノ説
- 淳祐墓
- 弟子長教
- 寺趾
- テ飛去ル
- 豫告ス
- 普賢院ノ
- ニ死期ヲ
- 空ニ向ツ
- 傳
柱
- 天暦七年七月二日
ノンブル
- 九八三
注記 (35)
- 1129,640,57,467そ尊師聖寶僧正
- 558,772,61,911○弟子眞頼ノ事蹟、左ニ附載ス、
- 1002,639,69,2172さかりにして、專小野一派の正嫡を傳へしより以來、觀賢僧正受つぎて補
- 890,635,70,2168したまひぬ、當寺は鎭護國家の道場、淨行薫修の聖跡なるべしと、起請文を
- 778,635,69,2170しるされたり、其次の座主にて、内供も此寺の傍に一寺をかまへ、普賢院と
- 328,625,67,2170密、受法以降若干年、三時念誦、一時不休、命終之日、喚受法弟子長教、相語曰、今
- 666,632,66,1899號し止住す、いづれの年か、寺もすたれ亡て今その墓のみ殘れり、
- 213,628,69,2165日決定可入滅、所未授畢金剛界印契眞言等、可書一界便沐浴授畢、命諸弟子
- 1114,1481,64,1331座主のとき、當寺に止住して、殊に眞言の受學
- 1455,592,91,568〔近江國輿地志略
- 1684,643,73,2188法師位淳祐不留依身、向空飛去、行業如別傳、渡天之跡于今存、云片履岡此也、
- 1345,639,71,2196師堂の後、凉所の下にあり、土俗、惡源太義平の墓なりといふものは非なり、
- 431,564,99,2236〔日本往生極樂記〕石山寺僧眞頼就内供奉十禪師淳祐、受眞言法、明於三
- 1222,642,82,2134この墓ある地、古昔普賢院と號する寺地にして、則淳祐の寺なり、〓中を
- 1587,640,54,276年六十四、
- 1455,1506,80,1317志賀郡三十二普賢院淳祐墓本堂の艮、祖
- 1794,595,99,2236〔石山寺年代記録〕〓近江天暦七年七月二日、座主内供奉十禪師傳燈大
- 1453,1212,41,181寺邊莊
- 1497,1216,42,176三十七
- 1153,1134,42,330兵部大丞葛
- 1111,1132,41,263聲王の息
- 1489,1498,46,383志賀郡三十一
- 496,274,40,165僧眞頼ノ
- 1692,298,40,119トノ説
- 1503,291,42,121淳祐墓
- 407,275,41,169弟子長教
- 1255,284,39,82寺趾
- 1739,301,36,150テ飛去ル
- 320,276,39,116豫告ス
- 1300,284,40,167普賢院ノ
- 361,286,43,148ニ死期ヲ
- 1781,297,38,158空ニ向ツ
- 454,276,36,38傳
- 124,696,45,339天暦七年七月二日
- 114,2396,44,119九八三







