『大日本史料』 2編 11 長和5年8月~寬仁元年6月 p.275

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ノ上東門第行幸ニ舞人ト爲ルコト、同年十月九日ノ第一條ニ、松尾社行幸ニ供奉セン, ○憲定、圓融法皇ノ傳法灌頂會二僧前ヲ上ルコト、永祚元年三月九日ノ條ニ、新所旬ニ, 一條ニ、圓融天皇御忌ニ陪膳ヲ奉仕スルコト、同三年二月十二日ノ第一條ニ、一條天皇, 出居侍從ト爲ルコト、長保元年十一月十三日ノ條ニ、藤原實資等ト共ニ嵯峨ニ遊ブコ, ルコト、同年十月十六日ノ條ニ、第三皇子, ト、同年年末雜載、學藝ノ條ニ、齋宮恭子女王ノ著裳二ニ參ルコト、同二年十一月七日ノ第, トシテ、藤原道長ヨリ丸鞆帶ヲ借用スルコト、寛弘元年十月十四日ノ第一條ニ、道長ノ, 子のいまゝておはしまさゝりつるこそいと不便に侍つるを、この若君のむまれ給へる、い, かくよをひゝかす御孫のいておはしましたる、なきあとにもいとよし、, ニ、道長ノ大饗ニ勸盃ヲ行フコト、同五年正月二十五日ノ條ニ、上東門第行幸ニ供奉ス, 法性寺五大堂供養ニ、冷泉院御諷誦使ヲ勤ムルコト、同三年十二月二十六日ノ第二條, とかしこき事なり、母は申さぬことなれと、これはいとやんことなくさへおはするこそ、故, 一、道長大臣の御太郎、たゝいまの關白左大臣頼通の大臣これにおはします、このとのゝ御, 左兵衞督は人からこそいとしもおもはれ給はさりしかと、もとのあて人におはするに、又, 五十日ノ儀ニ、役送ヲ勤仕スルコト、同七, 寛仁元年六月二日, 良, 敦, ル所トナラ, 憲定甚シク, 世ノ重ンズ, 寛仁元年六月二日, 二七五

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  • ル所トナラ
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  • 二七五

注記 (23)

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