『大日本史料』 2編 11 長和5年8月~寬仁元年6月 p.141

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日ノ條ニ見ユ、, なやみのおり、いとあさましきことにおほしなけきて、, いとかたはらいたきになん、皇后宮いといみしうおほしみたれたるに、みや〳〵の御けし, なかちにおそろしかるへきことにもあらねと、院のいときはたけくおほしの給はするか, のさい宮にてをはせしおりのことなり、されと、これそさきのさい宮ときこえさすれは、あ, ○當子内親王、歸京スルコト、長和五年八月九日ノ條ニ、出家スルコト、本年十一月三十, 當子内親王事, のほらせ給てのち、荒三位道雅の君になたゝせ給にけれは、三條院も、御, 達の御妹の女宮達二人、一所はやかて三條院の御時の齋宮にてくたらせ給にしを、, 〔大鏡〕, きもいといみしきに、東宮もいみしく心やましけにおほしみたるへし、, この小一條院の御さしつきの二宮敦儀親王をこそは、式部卿とは申めれ, この宮, 寛仁元年、正三位道雅卿密新、, 齋宮, 寛仁元年四月十日, 二十日ノ條ニ見ユ, ユト、長和三年九月, 群行ノ, カヽル、十一月三十日ノ條ニ收ム、, ○下略、當子内親王、出家スルコトニ, ○齋宮, 略, ○東松〓三氏本, ○上, ○中, 〇1, 略, 〇, ○東松公三氏本一、左大臣師尹, 二, 略, 惑シ給フ, 皇后東宮困, 寛仁元年四月十日, 一四一

割注

  • 二十日ノ條ニ見ユ
  • ユト、長和三年九月
  • 群行ノ
  • カヽル、十一月三十日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、當子内親王、出家スルコトニ
  • ○齋宮
  • ○東松〓三氏本
  • ○上
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  • 〇1
  • ○東松公三氏本一、左大臣師尹

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  • 惑シ給フ
  • 皇后東宮困

  • 寛仁元年四月十日

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  • 一四一

注記 (36)

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