『大日本史料』 4編 7 建仁元年4月~3年12月 p.585

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とも、堀河の左府の例とそきこえし、さて常よりも御遊たれも〳〵興ある, き侍に、つツちのくつれより見侍れは、庵のよもきは軒をあらそひ、一むら, せかふ、かつは二位中將の事も侍れはにやとそおほゆる、〓, の薄も一めえてそみえ侍、近きほとなるに、京極殿へ參りたれは、玉鏡とみ, 殿の御りしりのつきのあしたには、ひろ御所に出御なりて、やう〳〵の御, かきたてらるれは、さもことかはりたるものかなとそおほえ侍、いよ〓よ, 比はきこゆ、二條大納言そのいとなみより外の事なし、さても〳〵、此京極, 遊なと侍き、その御りたりのけんしやうに、内大臣殿三位中將、二位せらる、, たくりあらためら〓て、此十月に御りたりとて、そのさたとものみそこの, 二條の大納言の聟なるか故なり、たゝ人の二位の中將は常ならぬ事なれ, さまなりしかは、内大臣殿ことに興ありと、第りはたとりて萬におこなは, 源家長日記〕, 御幸出御事、藏人木工頭奉行之、, たゆふへに參りかへれは、今は馬車よりおりなとする事もなくて、過あり, 京極殿へあし, ○上略、式子内親王薨御ノ後、大炊殿荒廢ノ事, 一係ル、元年正月二十五日ノ條ニ收メタリ, 下略、通親薨去, 事二係ル、二十, ○, 觀賞, 御遊, 二位中將, ノ例, 建仁二年十月十九日, 五八五

割注

  • ○上略、式子内親王薨御ノ後、大炊殿荒廢ノ事
  • 一係ル、元年正月二十五日ノ條ニ收メタリ
  • 下略、通親薨去
  • 事二係ル、二十

頭注

  • 觀賞
  • 御遊
  • 二位中將
  • ノ例

  • 建仁二年十月十九日

ノンブル

  • 五八五

注記 (26)

  • 521,628,72,2206とも、堀河の左府の例とそきこえし、さて常よりも御遊たれも〳〵興ある
  • 1520,609,74,2220き侍に、つツちのくつれより見侍れは、庵のよもきは軒をあらそひ、一むら
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  • 1397,627,74,2196の薄も一めえてそみえ侍、近きほとなるに、京極殿へ參りたれは、玉鏡とみ
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