『大日本史料』 5編 16 仁治3年12月~寛元元年11月 p.158

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陀羅尼ヲ、滿眼ノ所及、海生山獸等ノ養生ニアツ、如來影現事、貴目出覺テ、, 多立之、其門東脇ニ古大松アリ、寺僧云、昔西行此松ノ下ニ七日七夜籠居テ、, ひさに經てわか後の世をとへよ松跡しのふへき人もなき身そ, とよめるによりて、此松ヲハ西行カ松ト申也ト申ヲキヽテ、, 同月廿一曰、大師至御行道所ニ、世號世坂參詣、其路嶮岨嵯峨、老骨雖攀躋、只人ニタスケラ, 寛元々年九月十五日、善通寺移住ノ寺僧等、兼テ大師御誕生所傍ニ庵室ヲ搆テタマヘリ、, 高野山岩のむろ戸に澄月のこのふもとより出けるかさは, わしの山つねにすむなる夜半の月きたりて照す峯にそありける, 乘雲來臨影現タマフ、大師拜ミ玉フ故、云我拜師山ト也、此行道所ニ數刻、大佛頂寶篋印等, 行道所ハ、五岳中岳、我拜師山西岫也、大師此處ニ觀念經行之間、中岳青巖緑松、已尺迦如來, 契り置て西へ行ける跡にきてわれもおはりをまつの下風, 十月之比、南大門ニ出テ、南方名山等眺望、南大門前ノ路、弘三丈五尺、長八町、左右ニ率都婆, レテ登イタル、此行道ノ路ニハ、于今草不生、清淨寂寞タリ、南北諸國皆見テ眺望疲眼、此, 此御誕生所ハ、西方ニ五岳山ト云テ、五佛之高山ノアル其麓也、同日午刻於講堂有法花講、大, 師御報恩云々、其後有童舞云々、其日及晩景不能還向、即通夜御影堂云々、翌日宇足津ニ歸、, 寛元元年正月二十五日, 道所, 空海ノ行, 一五八

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  • 道所
  • 空海ノ行

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  • 一五八

注記 (19)

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