『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.380

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ニ過ギザルヲ以テ省略ス、, 赤松氏ノ系圖、猶ホ數種アリト雖モ、大抵尊卑分脈ニヨリテ増損スル, スレバ、其生ハ建治三年ニアリ、建治三年ハ上寛元元年ヲ去ルコト三, 御子具平親王より三代、右大臣顯房の御子、第一き中院左大臣雅房と申、久, 任ヲ檢スルニ、寛元元年ノ條ニ師季ヲ載セ、正三位侍從周防權守、五十, といふ所になかされ給ひて、其子孫住給ふ、かくて五代目を則景と申、此人, 六歳トノミアリテ、復タ見エズ、而シテ則村ハ本年七十四歳ヲ以テ卒, 宇野といふ所を知行し、宇野名字の元祖なり、此時關東に下り給ひて、北條, 十二年ニ過ギズ、其間八世ヲ累ヌルハ繁促ヲ免レズ、姑ク疑ヲ闕ク、又, 我殿の御先祖なり、第二丹波守季房の御子乃とを、播磨の國佐用庄赤松谷, との縁者となつて、建久四年七月四日、佐用庄地頭職を頼朝の御下文御拜, ○尊昇分脈ニヨレバ、赤松氏ノ先ハ、則村八世ノ祖師季ニ出ヅ、公卿補, 領なり、是よりして宇野播磨權守則景と申、其弟二人あり、第二は宇野新大, 〔赤松記〕爰に赤松乃初を申をは、人王はしめて六十二代、村上天皇と申、其, 南朝正平五年北朝觀應元年正月十一日, 加東郡三種山城主トアリ、, 氏康、赤松五郎、出羽守播州, 赤松氏由, 來, 三八〇

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  • 加東郡三種山城主トアリ、
  • 氏康、赤松五郎、出羽守播州

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  • 赤松氏由

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注記 (20)

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