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す、赤松貞範か弟律師則祐・同信濃守光範・同出羽守顯範・同宮内少輔宗範・佐用治, 氏の武威山陰・山陽の兩道に振ふ、, 直久か守る所の菩提寺の城を攻む、城中防き戰ふといへとも、援の兵もなく、有元・佐, 用纔に百騎計になりて、同國倉掛の城に引籠る、是を聞て、赤松筑前守、播磨・美作の, 取る、右衞門佐師義八百餘騎を卒ひて、赤松か勢と相戰ふ、時に阿保肥前入道信禪、赤, 部丞重長、千餘騎を引具して、星祭嶽に登り、城を目の下に見おろして、乘り崩んと, 方になりて、時氏の旗下に屬するのゆへに、赤松か謀符合せす大に敗軍しけれは、時, 松か陣にありしか、時氏へ内通して、但馬を指して引退く、また長九郎左衞門尉も、, 郎隆範・上月・眞嶋・宇野・柏原等を先きとして、二千餘騎にて、高倉山の麓に陣を, 境竹山・千草・吉野・石か峯に城を構へて、是を防かんとはかる、時氏の長臣小林民, 赤松、細川右馬頭頼之に牒し合て、時氏父子を討んと計といへとも、此時山陰道委く宮, 見丈城、其外林野・妙見等の城を攻落し、また有元民部丞・佐久入道紹英・佐用美作守, 是を守らしむ、師義但馬へ趣かんとするに、赤松か軍士遮り止て、進退自由ならす、, 播磨を取んとはかるのよしを聞て、赤松貞範播州法華山に城を構へて、軍兵を籠置て, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
柱
- 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
注記 (15)
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