『大日本史料』 6編 33 応安3年是歳~応安4年3月 p.310

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り、勝利を得といへ共、大軍兵粮に乏しく、勞に及んとするによりて、同三月十三日, 騎にて、淀川を左に請て、淀・鳥羽・赤井・大渡に陣せらる、淀川より南の方は、四, 川・吉岡安藝守・後藤壹岐守・小幡出羽守・倭久修理亮・加地三郎左衞門尉・土師右, に、時氏諸將と相議して、各本國に歸らる、同日、尊氏北帝, 播州にあり、時氏其虚に乘て攻討るゝ程に、廣戸掃部助か守る所の名木の城、能仙の, を先陣とし、諸將と牒し合て合戰あり、尊氏討破らる、洛中洛外におゐて度々合戰あ, 條中將隆俊・法性寺左衞門督康長を大將として、楠左馬頭正儀、和田の一族、石堂入, 京亮・楯又八郎・長門山城守・毛利因幡守・佐渡但馬介・鹽見源太等都合五千六百餘, 康安元年辛丑七月に、時氏父子、因幡・伯耆・出雲の軍勢三千五百餘騎を卒して、美, 達・石原・久世・佐伯・土屋・福依・藤澤・須藤・淺沼・大庭・福間・佐治・宇多, 作國に赴き、同十三日に、赤松か城を攻らる、此時に當國の守護赤松筑前守貞範は、, 城、小原入道か小原の城、飯田一族か篠田の城、大野一族か大野の城、菅家一族か大, 道・吉良左馬助・赤松彈正少弼氏範・土岐・原・蜂屋等三千二百餘騎にて、小林民部丞, る、, を供奉して歸ら, 後光, 嚴院, 再ビ歸國ス, 松貞範ノ廣, ヲ攻ム, 美作守護赤, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 三一〇

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  • 松貞範ノ廣
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  • 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日

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  • 三一〇

注記 (23)

  • 906,785,59,2193り、勝利を得といへ共、大軍兵粮に乏しく、勞に及んとするによりて、同三月十三日
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