Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
今川右京亮貞世・佐々木左衞門尉氏頼・赤松上總介義則五人なり、, 戰ふといへ共、寄手度々利を失ふ、始め時氏父子は觀音寺中院に陣せらる、聊か思, 一同三年庚戌四月に、將軍義滿公、細川武藏守頼之をして、南方に向はせらる、時氏父, 子も是に從ひ、同八日、京都を發し、同十五日に、河内國に著き、勢を四に分ち、一, り、, 總介泰範は、一萬五千騎に將として千劒破城にむかひ、龍泉寺・觀音寺兩所に陣して, 諸將と計りて、時氏をして和泉・河内の内に放火し、氏清をして敵の兵粮の道を指, り、, 手は千劒破城、一手は赤坂城、一手は飯森城、一手は八尾城に向ふ、時氏父子・今川上, 塞き、其ついへに乘て攻んと約して氏清を止て、同二十二日に、諸勢京都に歸陣あ, 召て祝儀あり、猿樂を興行せらる、時氏父子も召によりて著座あり、座席尤嚴重な, 今年八月朔日に、將軍義滿公へ丹波國の百姓芹一籠を獻上す、御喜悦あり、諸將を, 維ありけるにや、退て龍泉寺山に陣し、城に向て陣取らる、同十一月に、細川頼之, 一應安元年戊申に、將軍義滿公, 評定衆を定めらる、則時氏・仁木左京大夫義長・, 義詮公, の男、, 細川頼之二, 從ヒテ河内, ヲ攻ム, 評定衆ニ列, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 三一四
割注
- 義詮公
- の男、
頭注
- 細川頼之二
- 從ヒテ河内
- ヲ攻ム
- 評定衆ニ列
柱
- 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
ノンブル
- 三一四
注記 (23)
- 1651,797,59,1688今川右京亮貞世・佐々木左衞門尉氏頼・赤松上總介義則五人なり、
- 1074,792,66,2188戰ふといへ共、寄手度々利を失ふ、始め時氏父子は觀音寺中院に陣せらる、聊か思
- 1536,752,62,2223一同三年庚戌四月に、將軍義滿公、細川武藏守頼之をして、南方に向はせらる、時氏父
- 1420,792,63,2165子も是に從ひ、同八日、京都を發し、同十五日に、河内國に著き、勢を四に分ち、一
- 623,798,38,75り、
- 1189,794,64,2180總介泰範は、一萬五千騎に將として千劒破城にむかひ、龍泉寺・觀音寺兩所に陣して
- 840,793,69,2191諸將と計りて、時氏をして和泉・河内の内に放火し、氏清をして敵の兵粮の道を指
- 274,859,42,71り、
- 1302,792,66,2186手は千劒破城、一手は赤坂城、一手は飯森城、一手は八尾城に向ふ、時氏父子・今川上
- 724,795,67,2181塞き、其ついへに乘て攻んと約して氏清を止て、同二十二日に、諸勢京都に歸陣あ
- 377,856,68,2123召て祝儀あり、猿樂を興行せらる、時氏父子も召によりて著座あり、座席尤嚴重な
- 493,856,67,2129今年八月朔日に、將軍義滿公へ丹波國の百姓芹一籠を獻上す、御喜悦あり、諸將を
- 957,795,65,2187維ありけるにや、退て龍泉寺山に陣し、城に向て陣取らる、同十一月に、細川頼之
- 1769,762,57,780一應安元年戊申に、將軍義滿公
- 1769,1712,62,1250評定衆を定めらる、則時氏・仁木左京大夫義長・
- 1801,1560,42,128義詮公
- 1756,1564,40,93の男、
- 1562,364,42,207細川頼之二
- 1517,362,42,218從ヒテ河内
- 1471,366,44,118ヲ攻ム
- 1781,362,45,218評定衆ニ列
- 1901,846,46,838南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
- 1903,2507,43,121三一四







