『大日本史料』 7編 13 応永16年雑載~同17年12月 p.187

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

と申候、義將の事にて候、, す、同年十月京より討手下り、二城を圍て攻けるに、城固して落す、, 々の如く柳營に奉事す、, 々の推薦に依て、義將弱年なれとも、門閥といひ材器といひ、この人に如くはあらし, 明れ, 應安四年七月桃井播摩守直常宮方にくみし、越, は二年七月道朝卒しけれは、義將樣々歎訴して、罪ゆるされ舊領を安堵し、上京して先, とて執事に補せしめ、父の入道に後見せしめらる、, 將朝臣は越前・越中・能登・若狹・信濃・佐渡六个國を歴任候し、法燕寺道將雪溪, 少輔に任す、家譜、そのころ執事細川相模守清氏南方に參り、當職缺たれは、義詮將軍人, 同五年八月道朝佐々木佐渡入道道譽と〓あり, 從五位下に敍し、治部, て、越前へ馳下り、其身は杣山の城に籠り、義將には粟屋の城を守らしめ、防戰の用意, 貞治元年十三にして元服し、, 〓國譜〕斯波左兵衞督源義將は尾張守家氏五代、修理大夫高經か長男なり、, 年五月七日逝, こえて義將をこの職に補せしかハ、氏頼ハ世をうく思, 家譜十一とすれとも、今そ, の卒年より逆數して改む、, ひ遁世しけるとそ、○貞治元年七月二十三日ノ條參看, 七月十三日ノ條參看, 義將ハ當腹なり、入道義將を愛し、氏頼をさし, 太平記、○貞治六年, 代々兵衞督、或は佐, か家は足, 去、六十一歳, 太平記、義將か兄の左衞門佐氏頼ハ先腹にて、, 案に斯波, に任せしをもてなり, 八日ノ條參看、, ○貞治五年八月, せしを以て、世の人玉堂と稱せり、貞治一二年七月六十三にて卒せり、又斯波と稱せし故ハ、道朝か弟左凉大夫家兼、, 陸奧に下り斯波郡を領せしをもて氏とせしか、いつとなく本家の稱とも成しなり、又武衞といふは、義將より以下, 斯刊宗〓早世〓、其子〓經なり、高經か事蹟は太平記等にあまた見へて、尋氏將軍に屬し、若干戰功を重ねし内に, 〓と忌ラ執事ユ川清氏が南加へ參りし後、義將執事となり、己れ後見して幕府の政務を執行す、東山玉泉寺に住, も、越前國にて新田中將を討取し功尤莫大なれハ、い數〓國の守護を給ひ、昇殿をゆ〓れ、い後に、則髮し&〓朝惣, 應永, 並日, 二三日, 十七, 利殿と同しく左馬頭義氏よりいてたり、義氏か三子尾張守家氏、其子左近大夫宗家、々はめ七遅張をよとれ、, 斯波, 門とい, 父卒去ノ, 々木高氏, 後上洛シ, 父ニ隨ヒ, テ舊領ヲ, 下リ屋, ト〓アリ, 城ヲ守ル, 安塔セラ, 父高經佐, テ越前ニ, ル, 應永十七年五月七日, 一八七

割注

  • 年五月七日逝
  • こえて義將をこの職に補せしかハ、氏頼ハ世をうく思
  • 家譜十一とすれとも、今そ
  • の卒年より逆數して改む、
  • ひ遁世しけるとそ、○貞治元年七月二十三日ノ條參看
  • 七月十三日ノ條參看
  • 義將ハ當腹なり、入道義將を愛し、氏頼をさし
  • 太平記、○貞治六年
  • 代々兵衞督、或は佐
  • か家は足
  • 去、六十一歳
  • 太平記、義將か兄の左衞門佐氏頼ハ先腹にて、
  • 案に斯波
  • に任せしをもてなり
  • 八日ノ條參看、
  • ○貞治五年八月
  • せしを以て、世の人玉堂と稱せり、貞治一二年七月六十三にて卒せり、又斯波と稱せし故ハ、道朝か弟左凉大夫家兼、
  • 陸奧に下り斯波郡を領せしをもて氏とせしか、いつとなく本家の稱とも成しなり、又武衞といふは、義將より以下
  • 斯刊宗〓早世〓、其子〓經なり、高經か事蹟は太平記等にあまた見へて、尋氏將軍に屬し、若干戰功を重ねし内に
  • 〓と忌ラ執事ユ川清氏が南加へ參りし後、義將執事となり、己れ後見して幕府の政務を執行す、東山玉泉寺に住
  • も、越前國にて新田中將を討取し功尤莫大なれハ、い數〓國の守護を給ひ、昇殿をゆ〓れ、い後に、則髮し&〓朝惣
  • 應永
  • 並日
  • 二三日
  • 十七
  • 利殿と同しく左馬頭義氏よりいてたり、義氏か三子尾張守家氏、其子左近大夫宗家、々はめ七遅張をよとれ、
  • 斯波
  • 門とい

頭注

  • 父卒去ノ
  • 々木高氏
  • 後上洛シ
  • 父ニ隨ヒ
  • テ舊領ヲ
  • 下リ屋
  • ト〓アリ
  • 城ヲ守ル
  • 安塔セラ
  • 父高經佐
  • テ越前ニ

  • 應永十七年五月七日

ノンブル

  • 一八七

注記 (57)

  • 1699,890,61,654と申候、義將の事にて候、
  • 439,612,74,1780す、同年十月京より討手下り、二城を圍て攻けるに、城固して落す、
  • 208,616,57,591々の如く柳營に奉事す、
  • 884,615,73,2217々の推薦に依て、義將弱年なれとも、門閥といひ材器といひ、この人に如くはあらし
  • 464,2726,52,106明れ
  • 214,1635,70,1204應安四年七月桃井播摩守直常宮方にくみし、越
  • 323,625,75,2213は二年七月道朝卒しけれは、義將樣々歎訴して、罪ゆるされ舊領を安堵し、上京して先
  • 768,612,65,1287とて執事に補せしめ、父の入道に後見せしめらる、
  • 1809,592,82,2110將朝臣は越前・越中・能登・若狹・信濃・佐渡六个國を歴任候し、法燕寺道將雪溪
  • 999,604,78,2226少輔に任す、家譜、そのころ執事細川相模守清氏南方に參り、當職缺たれは、義詮將軍人
  • 662,1694,66,1141同五年八月道朝佐々木佐渡入道道譽と〓あり
  • 1127,2255,68,574從五位下に敍し、治部
  • 553,611,79,2232て、越前へ馳下り、其身は杣山の城に籠り、義將には粟屋の城を守らしめ、防戰の用意
  • 1118,1018,62,718貞治元年十三にして元服し、
  • 1569,652,91,1984〓國譜〕斯波左兵衞督源義將は尾張守家氏五代、修理大夫高經か長男なり、
  • 1723,597,45,262年五月七日逝
  • 682,615,52,1042こえて義將をこの職に補せしかハ、氏頼ハ世をうく思
  • 1154,1752,48,498家譜十一とすれとも、今そ
  • 1106,1757,52,486の卒年より逆數して改む、
  • 636,607,53,1043ひ遁世しけるとそ、○貞治元年七月二十三日ノ條參看
  • 194,1227,47,385七月十三日ノ條參看
  • 764,1919,53,910義將ハ當腹なり、入道義將を愛し、氏頼をさし
  • 239,1223,47,388太平記、○貞治六年
  • 1141,600,47,393代々兵衞督、或は佐
  • 1586,2644,41,165か家は足
  • 1677,600,47,263去、六十一歳
  • 808,1921,55,889太平記、義將か兄の左衞門佐氏頼ハ先腹にて、
  • 1627,2641,49,167案に斯波
  • 1099,608,43,391に任せしをもてなり
  • 439,2407,46,267八日ノ條參看、
  • 485,2408,45,295○貞治五年八月
  • 1264,606,59,2222せしを以て、世の人玉堂と稱せり、貞治一二年七月六十三にて卒せり、又斯波と稱せし故ハ、道朝か弟左凉大夫家兼、
  • 1216,606,61,2213陸奧に下り斯波郡を領せしをもて氏とせしか、いつとなく本家の稱とも成しなり、又武衞といふは、義將より以下
  • 1449,599,66,2221斯刊宗〓早世〓、其子〓經なり、高經か事蹟は太平記等にあまた見へて、尋氏將軍に屬し、若干戰功を重ねし内に
  • 1335,617,64,2208〓と忌ラ執事ユ川清氏が南加へ參りし後、義將執事となり、己れ後見して幕府の政務を執行す、東山玉泉寺に住
  • 1375,614,66,2211も、越前國にて新田中將を討取し功尤莫大なれハ、い數〓國の守護を給ひ、昇殿をゆ〓れ、い後に、則髮し&〓朝惣
  • 1864,2722,48,86應永
  • 1606,761,40,75並日
  • 1570,763,33,83二三日
  • 1821,2725,42,80十七
  • 1494,597,65,2209利殿と同しく左馬頭義氏よりいてたり、義氏か三子尾張守家氏、其子左近大夫宗家、々はめ七遅張をよとれ、
  • 1567,910,46,87斯波
  • 1332,601,36,123門とい
  • 356,282,41,162父卒去ノ
  • 646,285,40,160々木高氏
  • 311,281,40,161後上洛シ
  • 546,283,41,160父ニ隨ヒ
  • 265,288,41,155テ舊領ヲ
  • 460,282,38,169下リ屋
  • 602,288,40,154ト〓アリ
  • ... +7 more

類似アイテム