『大日本史料』 6編 23 延文5年2月~康安元年12月 p.780

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の大將として、をしよせてせめたまふに、宮方ふせぎあぐみて引入ければ、, 楠をはじめて、宮方大きに起り出けるを、將軍はせむかひ、畠山をからめ手, 諸將歸洛して、此間の辛苦をなぐさみけるに、仁木右京太夫義長か天下の, 山入道が所行なりとにくまぬ者はなし、京童ども歌に詠じ詩に作りて、言, しを、義長ふかく用心して、將軍の御前に他人を入立ず守りけるを、佐々木, て、今は頼む所なしとて、伊勢の國に逃下り、長野の城に楯籠り、宮方にぞ成, わだてあり、義長聞て將軍に訴申すに、これは定て人の讒なるべしと仰有, ひさかん也、押よせてせむれども物ともせず、東國西國の武士兵粮につま, 道譽ひそかにぬすみ出して、西山に落させ給へば、義長が軍兵みな落うせ, り、馬物の具を賣代なし、あるひは拔々に本國に忍びてかへる、これみな畠, にける、世の人みな今度畠山が上洛は、南方退治に事をよせて、仁木をほろ, 道善忠、佐々木佐渡判官入道崇永以下、畠山が宿所に寄合、仁木を討べきく, はやしければ、畠山身ひとりに樂けると思ひわづらひ、京にも湛り得ず、將, 執權として、無道不義の行跡を惡む人々、細川相模守清氏、土岐大膳大夫入, ぼさんためなり、これによつて和田楠をはじめて、宮方又蜂起していきを, 仁木義長, ノ兵逃亡, ス, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, 七八〇

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  • 仁木義長
  • ノ兵逃亡

  • 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日

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  • 七八〇

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  • 1697,633,66,2216の大將として、をしよせてせめたまふに、宮方ふせぎあぐみて引入ければ、
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